戦時中の供出免れた-平和象徴する梵鐘に関心 夜久野町の瑞林寺で講座

2026年06月21日 のニュース

 江戸時代に鋳造された梵鐘(釣り鐘)が残る高野山真言宗、瑞林寺(廣安龍哉住職)=京都府福知山市夜久野町板生=で17日、夜久野地域公民館主催のふるさと講座夜久野学が開かれた。受講した31人が地域史研究家の説明を聞き、戦時中の供出を免れ300年以上存在し続けている梵鐘の貴重さを感じ取っていた。

講師を務めた兵庫県の丹波市文化財保護審議委員会副会長の山内順子さんによると、同寺の梵鐘は1704(元禄17)年に鋳造され、高さは120・5センチ。上部の龍頭や撞木が当たる部分の撞座のデザインの特徴、鋳造した鋳物師について触れた。

梵鐘に漢文で刻まれた由緒についても解説。「『寺はみなさんが知識、知恵を得たいと思って集まる場所。そのために、迷いを吹っ切ったり、暗い闇夜を明るくするような鐘が必要で、それがないことは寂しいから、みんなで頑張ってお金を集めて造ったよ』といったことが書かれていると思う」と、分かりやすく伝えた。

町内には同寺と同じように、専福寺、東光寺、妙龍寺にも江戸期に鋳造された梵鐘が残っていると紹介。梵鐘を巡っては、太平洋戦争中の「金属類回収令」だけでなく、幕末にも異国船を打ち払うための材料として差し出さなければいけない危機があったことを取り上げた。

金属回収令では皇室関連のもの▽国宝などの文化財▽1615年以前に鋳造されたもの-などが除外条件だが、四カ寺のものはこれらの条件には当てはまらないとし、なぜ供出を免れたのかを問いかけた。山内さんは『瑞林寺のあゆみ』(先々代住職・村尾春雄師の著書)に、上夜久野村役場の書記、夜久覚蔵氏が200年以上の梵鐘は供出を免除するよう働きかけ、許可されたので瑞林寺と専福寺の梵鐘は供出を免れた-という記述があることを紹介し、鐘の歴史を守った大恩人として「夜久覚蔵さんをぜひ顕彰していただきたい」と勧めた。

さらに、そういった苦難を乗り越え、戦後81年経過したが、「今見ることができるのは、平和だったから」と強調し、「子どもたちにも、平和だったからこそここに梵鐘が残されていると伝えていってほしい」と願った。

77歳の受講者からは「これからも鐘を守っていきたい」といった感想のほか、夜久覚蔵氏に心当たりがあるといった意見が出された。このあと、受講者は間近で梵鐘を見学し、鐘の響きを味わっていた。


写真(クリックで拡大)=300年以上つり下げられている梵鐘を見る受講者ら

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