関東から福知山まで墓石運んだ北条氏 専門家が調査

2023年09月07日 のニュース

 伊豆国出身の豪族で、鎌倉幕府の執権職を世襲した一族、北条氏の末裔のものとされる墓がある福知山市正明寺、臨済宗南禅寺派・大興寺(有賀祖道住職)を、千葉県職員で鎌倉幕府第5代執権・北条時頼が開基した建長寺(神奈川県鎌倉市)の調査員、鈴木佐さん(54)=千葉市=が調査に訪れた。有賀住職(62)から話を聞くなどして、北条氏が丹波国福知山に来た経緯などを探った。

 北条氏のものとみられる墓があるのは境内の山手にある墓地で、全部で25基以上の墓石が並ぶ。古い書物によると、寛文9年(1669)に、朽木家が常陸国土浦(現在の茨城県)から福知山に転封。家来だった北条氏も一緒にやって来た。

 北条氏は福知山に向かう際、家財道具と一緒に、一族の墓石2基を大八車で運び、菩提寺として選んだ大興寺に安置。その後も亡くなった一族の墓が立てられたとされる。

 千葉県文書館県史・古文書課副主幹でもある鈴木さんは、昨年7月に、北条氏の墓について報じた両丹日日新聞のネットニュースを見て、寺と連絡を取るようになった。

 2日に大興寺を訪れ、福知山に移ってきた北条氏の末裔の家系図を見た鈴木さんは、代々家族の名前に「久」が付いていることに着目。この家系の人たちが、鎌倉時代後期の北条氏の一族、北条久時の子孫との可能性にも触れたが、北条一族の名前の付け方の、別の特徴も示しながら「そこは推測の域を出ない」と語った。

 歴史上、北条氏は、鎌倉時代の執権「北条氏」と、戦国時代の相模国の小田原城を本拠とした「後北条氏」が区別されていて、鈴木さんは「更に古い時代の家系図が無いので、どちらの末裔かは分からない」と言う。

 また現在残る家系図には、北条氏の「福知山初代」の石高が250石と記されていて、鈴木さんは「旗本で言うと、この石高は高く、名門であることが分かる」と述べた。

 鈴木さんは「北条氏の末裔は全国に散らばっていて、各地域の人たちが伝承する北条氏についての事柄を文章にして残すことが大切だ」としている。

 有賀住職は「関東からわざわざ調査に来てくださったことに大変感謝しています。大興寺にある墓の一族は、どちらの北条氏なのか疑問が残りますが、今後は新たな資料が出てくることに期待をしています」と話している。

 

写真(クリックで拡大)=有賀住職(左)の案内で、境内にある北条氏末裔の墓に線香を手向け墓碑銘を見る鈴木さん

参照:大興寺に鎌倉北条家末裔の墓 土浦から墓石を運び(2022年7月公開)

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