大興寺に鎌倉北条家末裔の墓 土浦から墓石を運び

2022年07月24日 のニュース

 伊豆国出身の豪族で、鎌倉幕府の執権職を世襲した一族の北条氏。現在放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、源氏を助けながら、鎌倉幕府の屋台骨を築いた北条義時が主役となり、脚光を浴びている。京都府福知山市正明寺、臨済宗南禅寺派・大興寺(有賀祖道住職)には、鎌倉北条家の流れをくむ一族の墓がある。専用の墓地には墓石がたくさん並び、今も分家の人が墓参りに訪れる。

 大興寺は寛永8年(1631)に建立。一族の墓地は同寺本堂すぐ横の山手に設けられ、広さは約60平方メートルある。

 過去の書物によると、寛文9年(1669)に、朽木家が常陸国土浦(現在の茨城県)から福知山に転封。家来だった北条家も移った。北条家は、その際、家財道具と一緒に、一族の墓石2基を大八車で運んだとされ、菩提寺として同寺を選び、墓を安置した。

 朽木家と一緒に来たのは、北条家の五右衛門久光とみられ、久光が先代と先々代の墓石を大切に運んできたと思われる。

■墓石に家紋の「三鱗」■

 その後、北条家は福知山で家系が築かれ、亡くなった家族の墓が、専用の墓地に次々と立てられた。現在確認できる墓石は25基以上。2基を除いて、ほとんどの墓石で戒名が判読できる。読めない2基は、土浦から運ばれたものと推測される。また北条氏の家紋「三鱗」が刻まれている墓石もある。

 北条家が同寺を菩提寺に選んだ理由は、はっきりとは分からない。運んできた墓石をいつごろ安置したのかも不明だが、有賀住職(61)は、現在の正明寺や室の周辺で、朽木家による新田開発が行われたため、家臣の北条家がその事業を担当し、正明寺にあった同寺と巡り会えたのでは-と推察する。

 また北条家が土浦にいた際に菩提寺としていたのが臨済宗の寺で、その寺の関係者から、福知山の大興寺を紹介されたとの説も考えられる。

 福知山の北条家は明治維新以後、京都市内に転居。大正時代以後に亡くなった北条家の人たちは、大興寺の専用墓地の中央に立つ「北條(条)家一族」の墓に祭られている。

■分家が今も盆や彼岸に墓参り■

 現在北条家の墓の世話をしているのは分家の女性(73)=京都市南区=。毎年盆や彼岸に、掃除を兼ねて参拝する。「北条家の家系をみると、歴史を感じ、名前に恥じないように生きなければと思います」と北条さん。「お墓を世話するのは私の代で最後になるかもしれませんが、元気なうちは守っていきます」と決めている。

 有賀住職は「なぜ大興寺が菩提寺になったのか、理由は分かりませんが、北条氏の家系がつながり、墓が残っていることは貴重で、ほかにも北条氏の末裔がおられるかもしれません。資料などが残っていれば見てみたい」と話している。
 
 

写真上から
 境内の山手にある北条家の墓地。多くの墓石が立つ
 墓に刻まれた北条家の家紋「三鱗」
 墓地の中央付近に建てられた北條(条)家の墓
 土浦から持ってきたのではないかと考えられる墓石

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