『新福知山市誕生から20年』 証言で振り返る市町合併(中)
2026年05月21日 のニュース
それぞれの思いが交錯するなか、旧福知山市と三和、夜久野、大江の旧3町の合併は果たされた。旧3町で助役などの重責を担った生き証人たちは、当時の町内情勢をどのように見ていたのか。心の内はどうだったのか。20年の節目に振り返ってもらい、町の現状についても話を聞いた。

時代の流れだった
旧三和町の元助役 田中正臣さん(91)=三和町芦渕=
「合併を一言で表現すれば時代の流れ」。当時の三和の財政は、裕福ではなかったが、合併を迫られるほどの状況でもなかった。それでも「積極的に合併を進める府ににらまれると、有利な財源の過疎債などが発行できなくなる可能性もあった」と漏らす。
町長らと分担し、各集落へ合併について説明をして回ったのが懐かしい。「反発する人も少しはいたが、大半の町民は合併やむなしの雰囲気でしたね」と思い返す。三和では比較的、スムーズに合併の話が進んでいったという。
そして合併から20年。「小回りが利かなくなり、町のことを自分たちで決めづらくなった」と現状を見る。一方で、三和町みわの工業団地「アネックス京都三和」の区画の多くが埋まるなど、母体の強度化がもたらした恩恵もあった。
いまの懸念は三和荘のこと。「私を含めて町民たちが親しみをもっている施設で、町民交流の拠点でもあります。採算性を意識しながら、しっかり活用を進めてほしい」と願っている。
写真(クリックで拡大)=当時の資料を見ながら語る田中さん
将来への不安あった
旧夜久野町の収入役 瀬田眞澄さん(83) =夜久野町小倉=
合併に向けた協議が進められる中、住民向け説明会への参加が非常に少なく、町民の合併に対する関心は薄いと感じていた。しかし、合併の是非を問う住民投票を求める運動が3町で起こると、夜久野では有権者の60%超の署名が集まった。
ただ、その後の動向をみると「合併への強い賛否というよりも長引く不況、高齢化や過疎化など地域の将来に対する不安の表れだったのではないか」と振り返る。
新市が発足した2006年1月1日には、旧町時代から進めてきた教育やまちづくり施策への継続的な配慮などを求める「事務引継書」が、旧町長から市へ提出された。
合併から20年。当時の住民たちが思い描いた町の姿になっているかと問われると、静かに首を横に振る。
「合併に期待したまちづくり施策などの成果は十分に得られていないと思う一方で、人口や事業所の減少など、地域力自体が想像していた以上に落ち込んだのも事実。今の町の姿を見ると、合併という判断は仕方なかったのではないかと思う」と複雑な胸中を語った。
写真(クリックで拡大)=資料をもとに記憶をたどる瀬田さん
水害に対応できるか
旧大江町の元助役 新宮七郎さん(76) =大江町南山東部=
当時の大江町の財政は「借金はほとんどが過疎債を活用していた。だから基礎残高は多く、財政力はあった」。また、他の2町と比べて人口が多く、観光資源も豊富にあるので、1町でもやっていけるのでは-。「そういった議論は確かにあった」と振り返る。
しかし、大江町は以前から幾度となく水害に見舞われてきた。「将来、また大きな水害が起きるかもしれない。そうした時に、少ない職員で町を持ちこたえさせることができるのか。そのへんのこともあり、合併への道はいたしかたないと…」
合併協議で苦労したのが病院問題。「もし病院が無くなれば、訪問看護もできなくなるという不安があった。しかし、いろいろな人の協力があり、何とか残せた」と喜ぶ。
合併して良かったか、悪かったかという議論は意味がないと考える。「人口はどの町も減っている。減少を緩やかにしていくには、若い世代の台頭が必要。地域の魅力を高め、移住者を増やすため、頑張ってもらいたい」
写真(クリックで拡大)=合併の記念碑を見る新宮さん










