竹田城跡の大手道石段の下に瓦 遺構調査で古い石積みも発掘
2021年02月19日 のニュース

「天空の城」として人気の竹田城跡(兵庫県朝来市和田山町竹田)で、大手道の石段の下から瓦や古い石積みが発掘された。調査した朝来市教育委員会は、竹田城の成り立ちを解明していく上で貴重な発見となったとしている。
朝来市は基本計画に基づき、2018年度から竹田城跡の整備事業を手がけている。いくつかの工事が計画され、これに先立ち遺構の残存状況を把握するための現状確認調査を毎年続けている。今年度調査をしたのは大手門に続く大手道枡形虎口周辺と、南千畳虎口。市教委が14日に調査結果の一般向け現地説明会を予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言を受けて中止し、代わって17日に報道機関向け説明会を開いた。

広秀は慶長5年(1600)、関ケ原の合戦で西軍について丹後田辺城攻めに加わり、西軍敗退後は東軍として鳥取城攻めに参陣。功績を挙げたものの、城下町に放火したことを責められ自刃。竹田城主の座は15年に終わった。
一般には、赤松時代が竹田城の最後とされている。
赤松氏以後の15年間については、竹田城について記した資料がなく、歴史の空白期になっている。
次に明らかになるのは、元和元年(1615)。一帯が生野代官所の支配下に置かれて幕府直轄地となり、この年に制定された一国一城(一つの国に城は一つだけとする)令により、竹田城は廃却されたと考えられてきた。
また竹田城は廃棄後の、石垣だけの絵図しか残っておらず、どの時代にどのような建物があったのかも分かっていない。