人の渦はさらに渦を巻き- 昭和5年の福知山踊りを雑誌が描写
2020年03月14日 のニュース
90年前に発行された雑誌「上方趣味」に、当時の福知山踊りについての記述が見つかった。活気ある踊りの様子、生活する市民らの息づかいが、A5判の冊子8ページに記されている。京都府福知山市の福知山踊振興会、田村卓巳会長の知人が見つけ、振興会へ寄贈した。
「上方趣味」は、1915年(大正4年)4月に創刊された隔月発行の雑誌。京都、大阪など上方各地の風俗、伝説、習慣、名物といった内容を取り上げている。
福知山踊りの記載があるのは1930年(昭和5年)7月1日発行の「上方趣味 待賓の巻」。大正、昭和時代に活躍した劇作家・高谷伸が、前年8月に福知山を訪れてつづっている。
本文は福知山駅到着から始まり、「宿屋のごたごた立ち込めた駅前通り」「あんまの夜店で売り込んだ広小路」などと、当時の街並みを描写。松竹と日活の映画館や福知山劇場、御霊神社といった場所も登場し、踊り場がいくつもあったこと、踊り子たちの様子についても触れている。
広小路での踊りについて、「まだ始まったばかりだが、踊り子が大円陣を作って踊っている外を、もう人の渦が取り巻いている」「渦はさらに渦を巻いてどんどん広がって行く」と、そのにぎわいを書き、あちこちの踊り場へ、踊り手を増やしながら連が移動していくことを。
記す。
また、飛び交っていた音頭の歌詞も拾ってあり、踊りの熱狂とともに「一をゆるめて二の糸しめて三で芸する三味の糸」「福知紺屋町御霊さんの榎化けて出るげな古狸」などと掛け声を変えながら楽しまれていたことが分かる。
著者は京都、大阪へ向かう終電が午後7時50分台だったため、これからというところで福知山を離れるが、「福知山の踊りの統一された美しさこそ丹波を代表するものである」と高く評価した。
田村会長は「当時の歴史背景も感じられる貴重な資料です。多くの踊り場があり、福知山踊りが非常に盛んだったことが裏付けられた。当時は歌詞に『チョイチョイノチョイ-』の部分が無かったと思われることや、雑誌に取り上げられるほど知名度のある踊りだったことが分かります」と話している。
雑誌は一般公開を検討しているという。
写真=挿絵付きで福知山踊りを紹介している