『阪神淡路大震災30年』 市消防長に聞く、当時の活動と防災への決意

2025年01月19日 のニュース

 30年前の1995年1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災が発生した。京都府福知山市消防本部からは発災の翌日から隊員が被災地に向かい、救助活動に尽力した。現在約130人が在籍する同本部内で、現地で活動した経験があるのは、澤田晴彦消防長(58)を含め2人のみ。昨今の救援態勢を確立する契機にもなった震災を振り返り、今後の防災へ懸ける思いを聞いた。

 Q…発災から被災地に到着するまでの経緯は。

 A…当時は福知山消防署北分署に勤務していて、発災時は受付業務をしていました。翌18日の勤務中に急きょ神戸市への派遣を命じられ、何の心構えもできないまま、先輩隊員5人と一緒に第1陣として午前11時30分に出発しました。被災地に近づくにつれて道路がひどく渋滞し、目的地の灘消防署に到着したのは予定よりも大幅に遅い、午後2時30分ごろでした。

 …被災地の状況、現地での活動内容は。

 A…出発前にテレビで被災状況は目にしていましたが、実際に現地に立つと、「こんなことが起こりうるのか」と大きなショックを受けました。神戸という都市の機能が完全に停止していて、あそこまで建物が崩壊した景色は見たことがなく、今となっても最も強烈な記憶として残っています。

 我々は灘区の倒壊したパチンコ店で救助活動を行いました。3階建ての建物内に従業員の寮があり、8人が生き埋めになっているという情報を聞いていましたが、現場はがれきの山。ショベルカーでがれきを掘り、人ではないかと思われれば人力で掘り出す、という作業を何度も繰り返しました。

 そこにいる全員が「何とか助け出してあげたい」との一心で夜通し作業を行い、全員を救出しましたが、8人とも既に亡くなられていました。

 第1陣は19日午前中に次の隊と交代し、福知山に戻りました。市消防本部としては25日までに第7陣までを派遣し、救助活動を行いました。

 Q…震災から得た教訓は。現在の救助活動などにどのように生かされていますか。

 A…大震災は、世の中の防災への意識が大きく変わる転換点となりました。それまで消防が持つことはなかった救助活動用の重機が配備されたり、緊急消防援助隊が創設されるなど、出動態勢や資機材、技術など、現在ではどの分野においても当時と比べものにならないほど進歩しています。

 昨年の元日に発生した能登半島地震で、あれだけ迅速に全国から援助隊が駆けつけ救助活動を行えたのも、当時の教訓が存分に生かされているからだと思います。

 また、市消防本部では、CSR(狭あい空間における救助活動)にも積極的に取り組んでいて、地震などによって倒壊した災害現場を想定した救助訓練も定期的に行い、有事の際に備えています。

 Q…被災地での経験は、澤田消防長の消防士人生に、どのような影響を与えましたか。

 A…救助活動を経験し、自分の中で「救える命があれば救いたい」という思いが、より強くなりました。

 当時は市消防本部内でも少数だった救急救命士の資格を取得し、以降のキャリアの大半を救命に携わり、自分でも納得のいく職務を果たしてこられたと思います。被災地での経験がなければ同じ道は歩まなかったかもしれません。

 Q…市消防本部内には当時の活動を語れる人が少なくなりました。後輩たちに伝えたいことは。

 A…以前は災害現場での活動というのは、どうしても経験に頼る部分が大きかった。しかし、現在では環境が整備され、普段からしっかりと訓練に取り組んでいれば、若手職員でも災害現場で適切な救命活動ができるようになると思います。

 もちろん経験も重要ですが、まずは日々の訓練を大切に、慌てることなく、一つずつ確実に技術を身につけていってほしい。

 Q…震災から30年が経ちました。被災地への思い、市の防災を担う消防のトップとして、今後への決意は。

 A…現在の神戸のまちを見ると、悲惨な災害がうそだったかのようにきれいになりました。時が流れ、震災を知らない世代も増えてくるのは仕方がないこと。それでも、災害の恐ろしさ、必要な備えについて、当時のことを知る私たちが、可能な限り伝えていけたらと思う。

 我々は常に被害の最前線に向かう救助のプロであり、市民のみなさまからの期待も大きいと認識しています。

 過去の教訓から学び、未来に生かす。今後も全ての職員が常にプロ意識を持ち、市民の命、そして、安心安全な暮らしを守り続けていけるよう、使命感を持って活動する強い組織であり続けたい。


【略歴】
 澤田晴彦=福知山市生まれ。大江高校卒業後、京都市消防局などを経て、1991年度に福知山市(消防本部)へ入庁。福知山消防署警防課救急担当課長、市消防本部通信指令課長などを歴任し、2023年度から現職。

 

写真上(クリックで拡大)=当時の活動や防災への決意を語る澤田消防長
写真下(クリックで拡大)=灘区のパチンコ店での救助活動(市消防本部提供)

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