円山川堤防決壊から20年 資料でたどる水害史

2024年02月12日 のニュース

 福知山市内に多くの被害をもたらし、大江町下流、舞鶴市の国道で観光バスが水没、乗客が屋根で一夜を明かした2004年の台風23号災害。兵庫県豊岡市では円山川の堤防が決壊する大水害となった。あれから20年。江戸時代から水害続きだった円山川の大規模改修が始まって1世紀となる機会に、豊岡市立歴史博物館が企画展「円山川の付け替えと水害史」を開いている。

 常設展示室の一画を使ってのコーナー展示。

 朝来市生野町円山(標高640メートル)を源とする円山川は、幹線流路延長68キロ、流域面積1300平方キロにわたる一級河川。大屋川、八木川などの支流が合流しながら日本海へと流れ、豊岡市内で出石川と合流する。

 大きく蛇行し、氾濫を繰り返していたため、古くから治水が課題になっていたが、江戸時代は複数の藩や代官所に管轄が分かれていて、一体的な管理がされてこなかった。堤防を築こうとしても費用負担や、「水流が集中してしまうのではないか」との心配を持つ集落の反対があったりして進まなかったとされる。明治時代には出石川を付け替えようとの計画も持ち上がったが、地元の意見はまとまらなかった。

 それでも1918年(大正7年)になると、第一次世界大戦による好景気もあり、当時の豊岡町長らが「大豊岡ノ建設」を唱えて国政へ働きかけ、23年5月3日に国直轄による円山川改修工事が起工された。

 25年5月には北但大震災が発生して豊岡、城崎などに大きな被害が出たが、「一方で、復興名目で耕地整理事業を後押しし、豊岡町周辺では現在見られるような市街地の区画ができていくきっかけとなった」という。改修工事は36年(昭和11年)に終了した。

 企画展では、蛇行していた河川を緩やかなカーブにする改修計画測量図や、当時の世相が分かる起工地鎮祭・祝賀会の式場案内図、「自然の凶暴性を征服し 苦難の円山川茲に完成す」「血と涙で染る苦闘史」などと報じる完成時の地域紙などを展示している。

 また資料からは、改修工事が機械だけでなく人力で掘削した場所が読み取れ、公共工事が「第一次大戦後の失業対策を兼ね、不況の中で豊岡と周辺は好景気にわいた」ことを解説している。

 博物館では「安全なまちにするために河川改修の意義は大きい」とし、「それでもなおかつ、自然災害には人間の力の及ばないところがある。改修が進んでも、まだまだ災害への備えが必要だということをくみ取ってほしい」としている。

 豊岡市立歴史博物館は日高町祢布、北近畿豊岡道・日高神鍋高原インター近く。企画展の会期は4月23日までで水曜(祝日の場合は翌日)休館。時間は午前9時から午後5時まで。一般500円、高校大学生300円、小中学生250円。電話0796(42)6111。

写真(クリックで拡大)
・展示写真の一つ、2004年の台風23号で堤防が決壊した円山川=部分=(国交省豊岡河川国道事務所提供)
・1936年の改修工事完成を伝える新聞などを展示

このエントリーをはてなブックマークに追加
京都北都信用金庫
大嶋カーサービス

 

「きょうで満一歳」お申し込み

24時間アクセスランキング

著作権について

このホームページに使用している記事、写真、図版はすべて株式会社両丹日日新聞社、もしくは情報提供者が著作権を有しています。
全部または一部を原文もしくは加工して利用される場合は、商用、非商用の別、また媒体を問わず、必ず事前に両丹日日新聞社へご連絡下さい。