戦国時代に思いをはせ 光秀ゆかりの鬼ケ城登山

2023年09月27日 のニュース

 酒呑童子の家来・茨木童子がこもっていた山とされ、戦国時代には明智光秀との関わりが深い京都府福知山市の鬼ケ城(標高540メートル)に登る催しが、24日に行われた。小学生から80代までの市内外の21人が秋晴れのもと、さわやかな風を受けながら山頂をめざした。

 手作り甲冑を着て市内外のイベントに参加している福知山城明智衆が、丹波の戦国時代の出来事を知る企画「丹波戦国時代へのいざない」の第一弾として計画。丹波福知山明智光秀公研究会、大江地域観光案内倶楽部、福知山観光協会が共催した。

 参加者は大江町南山西部の室尾谷山観音寺の登山口などから出発。厚紙などで作った兜をかぶった明智衆の代表、豊島建治さん(75)を先頭に、人工林や落葉樹のある場所、平坦な道や急勾配の場所を抜け、残っている石積みも見ながら山頂に到着した。

 登山中は南山西部で育った太田哲雄さん(72)が、階段状になっている部分を指し、「昔、ここでは米が作られていました」とか、「ここには炭焼き小屋があったんです」などと、子ども時代の様子を説明。山頂でも、「これからのシーズンは雲海が見える。360度見渡せることがすごいと思う」と特徴を話した。

 また光秀公研究会事務局長の西雄直樹さん(80)が、光秀の丹波平定にとって最後の戦いの舞台となったとされる経緯を話し、参加者は歴史を感じながら眼下に広がる福知山の景色や遠くに見える山々を眺めていた。下山後は室寺義仁住職(65)から、観音寺の成り立ちなどの説明も受けた。

 

写真(クリックで拡大)=城跡を感じさせる遺構も見ながら登った

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