豊臣政権が築城支援か 竹田城跡の広範囲に石畳
2023年09月08日 のニュース
「天空の城」として名高い国史跡・竹田城跡(兵庫県朝来市和田山町竹田)で、朝来市教育委員会が発掘調査を実施。7日までに新たな石畳、石段などが見つかった。これまで想定されていた一大名の手によるものではなく、豊臣政権下の大規模な城普請(築城)が行われていたことがうかがえるという。現地説明会を23日に行う。予約制。
17年度に整備基本計画を策定し、18年度から毎年区域を決めて発掘調査にあたってきた。今年度については、本丸を取り囲む平殿で、来年度に予定している保護工事の事前準備として遺構の確認調査をしている。
本丸から尾根沿い3方向に伸びる曲輪の一つ、花屋敷と平殿の接合部で石畳、斜面から石段が確認できた。
石畳については、これまでの調査で確認されたものと合わせると、三の丸から二の丸、平殿、南二の丸周辺に敷設されたことが判明。市教委は「全国の山城において石畳が確認されていることは非常に少なく、とても貴重」だとしている。
「石垣のある山城として希有」だとして昭和18年(1943)に国史跡となった竹田城。但馬と播磨、丹波を結ぶ要衝にあり、但馬守護山名宗全が配下の太田垣氏に命じて築かせ、嘉吉3年(1443年頃)に完成し、城主は太田垣光景から7代続いたというのが通説。豊臣秀吉の但馬攻めで落城した。いま残る石垣は、積み方などから天正13年(1585)=秀吉が関白となった年=に播磨龍野城主から朝来2万石で移ってきた赤松広秀(斎村政広)の時代に築かれたものと見られている。
これまでの調査により、瓦でふいた建物があったことなどが分かっており、今回はまた山城としては珍しい石畳が広範囲に敷設されていたことが判明。大川拓也主事は「赤松氏のみによる事業ではなく、豊臣政権下の支援がうかがい知れます」と話す。