「蛇口ひねればきれいな水」を90年 福知山の水道

2023年07月14日 のニュース

 京都府福知山市の水道事業は、1933年(昭和8年)4月に始まり、今年90周年を迎えた。水は人間の生命を支え、まちの発展にも欠かせない。市内のどこでも、蛇口をひねると、きれいな水が出てくる「当たり前」を実現し、守ってきた歴史と100周年に向けた思いを市上下水道部に聞いた。

 1889年(明治22年)4月、町村制施行により福知山町が誕生。昭和初期には軍事・交通の要衝として栄え、人口約2万5千人規模のまちとなり、昭和12年(1937)に京都府内で京都市に次ぎ2番目の市となった。

 しかし福知山は水害、干ばつ、火災に幾度となく見舞われ、発展は停滞。生活は井戸水に頼っていたが、洪水で汚染され、高台地域で井戸を確保しても水質が悪く、飲料には適さなかった。そのため、生活衛生、防火用水確保の観点からも、上水道の整備が広く望まれた。

 1929年に実地調査などが始まり、31年の事業認可を経て、翌年から着工し、33年に給水を始めた。管路延長は9里余り(約35キロ)。現在の水内にある上下水道部庁舎前に土師川からの取水施設、緩速ろ過池、配水池、ポンプ室などを作り、まち中に消火栓182基を備えた。

 水源地での工事、町内配水管の埋設などでは、重要な部分は福知山町が直営で施工。役場では14人の工事担当職員、8人の事務担当職員で事業を推進したという。

 総工費は当時の価格で41万6302円。開始時の給水は約2050世帯、1万人で、一日最大5千立方メートル(1人あたり200リットル)の給水量だった。

■第6次まで拡張し、現在の規模に■

 その後、第1次から第6次までの拡張を経て、2021年度末現在で管路延長1085キロ、取水施設34施設、浄水施設25施設、配水施設106施設、消火栓4262基を備える。3万6292世帯、7万5770人に一日最大3万8500立方メートル(1人あたり484リットル)が給水できる。

 拡張は、1971年に始まった第4次が特に大きく、開発が始まっていた長田野工業団地への飲料水のほか、周辺の長田、多保市、戸田、興、観音寺の未給水区域へ給水できる設備を整えた。2017年まで活躍した高畑水管橋も、この頃に架設された。

 大きな出来事としては、1994年の夏は雨が降らず「平成の渇水」が発生。節水を呼びかけるビラを配布するなどして、雨が降るまで耐えた。翌年は阪神淡路大震災が発生し、初めて他市への水の支援を実施。1リットルの水パック10万5千個を配布した。この後も、東日本大震災など各地の被災地で支援をしている。

■安定供給に向け、施設更新など課題■

 水道施設の運転、維持管理は、人が操作を行う部分がほとんど。職員たちは夜間勤務などの態勢を整え、流量の調整、点検などの業務に努めてきた。今は、中央監視装置によるシステムの自動化、上下水道部が指揮系統を持ちつつ、業務の一部を委託する包括的民間委託による24時間態勢の運転管理などを導入し、より安心、安全で安定した水の供給ができるようになっている。

 人口減少に伴う収入減と電力費などの高騰による厳しい経営状況、施設の維持管理に必要な技術職員と工事をする民間技術者の不足、施設の老朽化など課題は多いが、市上下水道部は「計画的な施設更新と効率化、官民連携のメリットを生かした経営の健全化、人材確保と技術継承に向けた取り組みなどに努め、水道事業者として公的責任を果たしていきたい」としている。

 

 
写真(クリックで拡大)上から順に
 昭和8年当時の上水道施設
 現在の市上下水道部庁舎
 昭和7年ごろの堀山での送水・配水管工事の様子
 上水道竣工を祝って町内挙げての仮装行列が催された
 緩速ろ過池(右)など、昭和8年の創設時の施設は今も、庁舎前に残っている
 昭和8年に建立されたと伝わる水天宮。かつては盛大な祭りもあった
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