「本能寺の変」は信長の非道阻止が狙いか 小和田さん福知山で講演
2020年11月25日 のニュース

京都府福知山市ゆかりの戦国武将・明智光秀を主人公にした大河ドラマ「麒麟がくる」の時代考証を担当する静岡大学名誉教授、小和田哲男さんが23日、福知山市役所隣のハピネスふくちやまで、光秀について講演した。出身地の説明や光秀が謀反を起こしたとされる「本能寺の変」の真相などに迫った。福知山光秀プロジェクト推進協議会が主催した。
小和田さんは光秀は謎だらけの人物としながらも、出身地は岐阜県可児市瀬田、父親の名は光綱と推定。土岐氏の一族と説明した。
主君の織田信長から命ぜられた丹波攻めについては、信長からその戦功が抜群だったと称されていることを紹介し、家臣団の中では「働き頭」とみられていたのでは-と語った。
信長を討った本能寺の変に関しては、昔からよく言われている信長に対する怨恨説や天下取りの野望説、朝廷らによる黒幕説などがある中、小和田さんは「朝廷が決める暦への口出しや高僧快川紹喜の焼殺などを行った信長の非道を阻止するのが狙いだった」と強調。「信長、信忠親子の悪逆が天下の妨げになるため討ちはたした」と書かれた光秀の書状の写しも紹介し、信長を討った光秀の心情を表しているのではないかと説明した。
光秀の文書は写しも含め180通ほどしかないが、その中の何通かは家臣に対する見舞いの手紙であることから、「部下思いである光秀が、部下を部下と思わない信長のやり方に我慢ならなかったことが、本能寺の変を引き起こした真相の一つ」と説いた。
写真=謎だらけの光秀について語った小和田さん