海軍航空基地跡知らせるモニュメント 市民有志が建設

2020年04月13日 のニュース

 戦時中、京都府福知山市前田から土(つち)、石原、戸田地区一帯にかけて海軍福知山航空基地があったことを知らせるモニュメントが、このほど土にできた。敵の攻撃から身を守るために造られた施設をモデルにしたもので、かつて戦争があったことを後世に伝えていくために市民有志が建設。12日には現地で完成式があり、出席者たちで戦争の無い平和な時代が続くことを願った。

 航空基地は第二次世界大戦末期に建設され、通称石原飛行場と呼ばれた。現在の市道上荒河観音寺線(旧中丹広域農道)あたりには、長さ約1・7キロ、幅が100メートル以上ある滑走路が造られ、周辺には紫電改を造る半地下工場や防空のための高射砲陣地などが点在。滑走路の周りには飛行隊指揮所、格納庫などがあった。

 航空機の搭乗員が避難所として使った掩体壕(えんたいごう)は鉄筋コンクリート製で長さ10メートル、幅1・5メートル、高さは2メートルあった。戦後も長く土の農地に残っていたが、2007年に市の区画整備事業で取り壊されたあと、壕の一部が石原の日新コミセンに移され、保存されている。

 モニュメントを建設したのは、以前から掩体壕の保存を願っていた土の田中正美さん(68)、南岡町の芦田久男さん(69)、前田の田淵保夫さん(71)の3人。建設場所は掩体壕があった農地から北へ30メートルほどの所で、市の土地を借りて建てた。資材などを持ち寄り、手造りで完成させた。

 モニュメントは、かまぼこ型の壕の上部をコンクリートで造り、本物の壕に付いていた空気抜きの煙突を取り付けた。長さ約1・7メートル、幅約1・1メートル、高さ25センチ。煙突の高さは約60センチある。

 そばには福知山航空基地跡の説明看板も立てた。完成式で田中さんは「小さなモニュメントですが、今後、平和教育で使っていただき、子どもや孫たちに語り継いでもらえるきっかけになれば」と話した。出席者の中にはモニュメントを写真撮影する人が多かった。

 式に出席した芦田さんは「地元の方々や市の協力があり、ようやく完成させることができました。今は新型コロナウイルスの感染拡大が心配されるので、収まってきたら、多くの人たちに見に来てほしい」と言う。

 田淵さんも「戦争当時を知る人たちが亡くなっていき、こうした戦争の遺物の存在も薄れていくので、見て分かるモニュメントを残すことができて本当によかった」と喜んでいた。
 
 
写真上=掩体壕をモデルにした海軍福知山航空基地跡のモニュメント
写真下=以前土地区にあった掩体壕(2006年)

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