「分からないことだらけの光秀」 大河考証の小和田さんが講演

2020年01月21日 のニュース

 明智光秀を主人公にする今年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の時代考証を務める静岡大学名誉教授の小和田哲男さんが、京都府福知山市内でのNHK公開セミナーで、謎多き光秀についてじっくり語った。大河ドラマ放送開始前日の開催とあって関心が高く、東京や九州など遠方から駆け付けた人もいた。

 小和田さんは戦国時代史研究の第一人者として知られ、大河ドラマの時代考証は今回で7作目になる。

 演題は「戦国の知将明智光秀の謎」。光秀の印象を「とにかく分からないことだらけで、こんな人物がいることが不思議」と切り出し、謎に包まれる前半生の話から始めた。

 生まれた年から出身地に至るまで複数説があり、大河ドラマでは美濃国可児郡明智荘(岐阜県可児市)出身の享禄元年(1528)生まれの設定を採用していると紹介した。

 美濃を治める斎藤道三の娘で、後に織田信長の妻となる帰蝶とはいとこの関係との説を推し、美濃を追われてたどり着いた越前(福井県)時代に、足利義昭と信長とを引き合わせたとの流れにつなげた。

 信長に仕えてからの光秀は軍功を重ね、織田家臣初となる領地付きの城・坂本城を預かるほか、重要地点の丹波国攻略を任されて頭角を現していく。小和田さんは「中途入社組でも活躍すれば認められる。信長が能力本位で評価をした証拠」と力を込めた。

 光秀が丹波国にある福知山で治水事業や税金免除の善政を敷き、今も市民に親しまれていることを掘り下げ、「新しい征服地ゆえで、(民を大事にする)撫民政策に長けていた。これは光秀の一つの個性といえる」と政治手腕の高さを買った。


■本能寺の変は「信長非道阻止説」■


 話は、主君信長を討った本能寺の変へ。50ほどの説がある光秀最大の謎について持論を展開した小和田さんは「誰かにそそのかされて動く武将ではない」と、単純な謀反説や黒幕説を一蹴。敗者や朝廷への信長の言動が人の道に外れていることに危機感を強めて動いた「信長非道阻止説」を挙げた。「ただし、大河ドラマで私の説の通りにいくとは限りません」と聴衆の笑いを誘った。

 光秀の謎は、まだまだ解明されていないものが多く、大河ドラマで脚光を浴びる今、さらなる調査研究が進むことに期待を膨らませて、講演の幕を閉じた。

 セミナーは、18日に福知山市、NHK京都放送局などが主催。福知山市役所横のハピネスふくちやまホールであり、会場いっぱいの約300人が聴講した。
 
 
写真=会場は満席。小和田さんの話をじっくりと聴いた

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