集団離村生んだ「サンパチ豪雪」 校舎も埋まり船をソリに
2023年01月15日 のニュース
全国的に雪が降り続き、多数の死者が出た昭和38年(1963)の「サンパチ豪雪」。京都府北部でも深刻な被害が出た。この雪害を機に、丹後半島では多くの山村で集団離村が進んだ。雪害と山の暮らしを取り上げた企画展「サンパチ-豪雪と山村の暮らしをめぐる60年」展が、府立丹後郷土資料館(宮津市国分)で開かれている。
「サンパチ豪雪」は62年12月末から1カ月ほど降り続いた豪雪災害を指す。大陸からの強い寒気団が日本列島を襲い、東北地方から九州まで広い範囲で雪が降り続いた。京都府のまとめによると、積雪は伊根町寺領で530センチ、宮津市上世屋で340センチ。福知山市大江町佛性寺でも100センチを記録している。
家屋の全半壊162棟。府内の被害総額は約50億円。貨幣価値が今と異なり、大卒初任給がまだ2万円に届いていなかった時期。未曾有の大雪害だったことが分かる。
山村では小学校の校舎がすっぽりと雪に埋まり、穴を掘り下げて入り口を確保し、先生に見守られながら児童たちが教室に入っていく写真が残されている。
丹後町では交通が1カ月にわたって途絶え、ヘリコプターで生活物資を運び込んだ。間人では伝馬船を2隻並べてブルドーザーで引っ張り、ソリ代わりにして物資輸送にあてたりしていた。冬場は男性たちが出稼ぎに出ていて、家屋の雪下ろしや歩く道の確保をしたのは、村に残っていた女性、子どもと高齢者たち。大きな不安の中での雪との戦いだった。
企画展では、こうした雪害の様子に加え、当時の山村の暮らしに注目をした。「サンパチ」を機に、丹後半島でおよそ30もの山村が集団離村をして、廃村となったためだ。
当時の丹後半島は雪害が無くてもトラックが入って行けない集落が点在。電気の届いていない集落もあった。高度経済成長の時代となり、織物景気にわき現金収入が得られる平地へと生活の拠点を移しだす流れにあったところへの豪雪被害。一方の平地部では機織りの人手不足に直面していて、町営住宅を建設するなど政策的に集団離村者を受け入れた町もあり、一気に離村が進んだ。
■不便はあったが、助け合い「豊かだった」山村■
一方、山村の暮らしは、様々な不便はあったものの、人びとは助け合い、知恵を出し合い「(お金とは違う)豊かな生活」をしていたと、当時を知るお年寄りたちは証言している。企画展では、雪に閉ざされた冬場の生活道具や、協力し合った田植えや屋根の葺き替え作業、豊かな文化を象徴する村祭りの様子などの紹介にも力を入れた。
また、村ぐるみで災害対策をして雪に強い村に作り替えたおかげで離村をしなくてすんだ例として、福知山市雲原の雲原砂防、村全体で子どもたちを育てていた例として大江町北原の烏踊(田楽)を取り上げた。
担当する青江智洋学芸員は「山村は貧しく、暗いイメージでしょうが、それだけじゃないということを感じ取ってほしい」と話している。
会期は4月9日まで。時間は午前9時から午後4時30分まで。月曜休館。一般200円、小中学生50円。電話0772(27)0230。
写真上=小学校は雪に埋まり、児童たちは穴を掘って確保した入り口を下って教室に入っていった
写真下=冬の生活を支えた道具