「光秀は信長のわがままに対応できる優れた老人」 福島克彦さんが解説
2019年12月18日 のニュース
福知山ゆかりの戦国武将、明智光秀をテーマとした講座が、京都府福知山市篠尾新町のM.(サンプラザ万助)でこのほど開かれた。城郭談話会の福島克彦さんが、数々の書物から読み取れる光秀の人物像や丹波平定について解説した。
官民連携組織の福知山光秀プロジェクト推進協議会が、7月から来年3月まで開く連続講座の6回目。
福島さんは中世都市、城郭史を専門とし、光秀に関連する著書が多数ある。今回は、「明智光秀の丹波攻略と福知山」を演題に話をした。
主君の織田信長を討った本能寺の変の時、光秀には「55歳」説と「67歳」説があるが、後者の可能性の方が高いとし、「文化人で建築手腕もある。わがままな信長に対応できる優れた老人のイメージを抱くことができる」と説明した。
1575年に信長から命ぜられた丹波攻略について、兵糧攻めなどで城を攻め落とし、約4年で平定したことを紹介。「抵抗する大きな勢力に対して、周りの小規模な村を味方にし、孤立させる手段を取っていた」と戦略家だったことを解説した。
中ノの御霊神社に所蔵される光秀の家中軍法にも触れ、「信長は細かいことを決めずに戦争していた。これではみんなが納得する戦いができないと悟り、軍法を定め、軍隊の運用を決めていた」と伝えた。
会場には、歴史好きな市民ら143人が訪れた。講演の前には、市が市聴覚障害者協会などの市民と考案した「明智光秀」「麒麟がくる」の手話表現が初めて披露された。
写真=光秀の人物像などを解説する福島さん