信長の覇業支えた光秀 連続講座初回に谷口さんが解説

2019年07月25日 のニュース

 官民連携組織の福知山光秀プロジェクト推進協議会(谷村紘一会長)は、明智光秀連続講座の初回を京都府福知山市のハピネスふくちやま4階ホールでこのほど開いた。法政大学元講師の谷口研語さんが登壇し、「織田信長の覇業を支えた明智光秀」と題して話し、市内外の約180人が訪れて聴講した。
 
 連続講座は、来年1月から大河ドラマ「麒麟がくる」が始まり、福知山市ゆかりの光秀にスポットが当たることから、市民らに光秀の偉業や人物像を、より深く知ってもらう目的で企画した。
 
 初回は、専攻が日本中世史で、光秀に関する書籍も執筆している谷口さんを迎えた。講座では、上洛から本能寺の変までの14年間について、信長との関係性や畿内支配で光秀が果たした役割などを中心に解説した。
 
 谷口さんは、この間の情勢の流れを年表を使って説明。これを念頭に置いて、信長が畿内の支配を幕府にゆだねていた時期、信長が畿内を自分の分国として支配した時期に分けて話した。
 
 足利義昭の幕府が存在している間については、「信長は光秀に義昭の監視をさせ、光秀を通じて、義昭と縁の深い細川藤孝を取り込んだのではないか」と持論を展開。
 
 義昭追放後は、光秀を畿内衆のまとめ役としたが、いずれは信長譜代の家臣を畿内支配の要にしたいとの思惑が信長にあり、それがうまくいかなかったと話した。
 
 谷口さんは「そうやって、ずるずるしている間に、本能寺の変を迎えてしまった。本来は、信長の全国制覇のめどがつく年だった。さあやるぞ、というところで、あのような結果になってしまったのだと考えられる」と、締めくくった。

 
写真=信長と光秀の関係性などを解説した

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