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両丹日日新聞2016年2月26日のニュース

歩兵20連隊の2・26事件 福知山で大正時代に

「萬日記」 「2・26事件」といえば、1936年(昭和11)に起きた青年将校によるクーデターをさすが、福知山には1915年(大正4年)に起きたもうひとつの「2・26事件」と言われるものがある。その出来事を記した史料が、福知山市本堀の吉田二三雄さん(88)宅に残されている。

 「福知山の2・26事件」と言われているのは、今から101年前の大正4年2月26日、午後10時ごろ、福知山にあった陸軍歩兵第20連隊で櫻井少佐が銃殺された事件。

 この時の様子が、吉田さんの祖父・歌太郎さんが記した「萬日記」に記されている。それによると、事件の犯人として、田代文雄少尉に容疑がかかった。田代少尉は吉田さん宅に下宿していたことから、歌太郎さんや親族も証人として取り調べられた。

 田代少尉は、文書偽造、殺人、窃盗の容疑で、同年8月15日に軍法会議にかけられることになり、歌太郎さんの妻・ステさんと娘・静子さん(二三雄さんの叔母)に証人として出廷命令が届いた記述がある。さらに、軍法会議で、田代少尉は「殺人と窃盗は免し文書偽造にて6カ月に確定」したと書かれている。

 二三雄さんによると、吉田さんの家には当時、将校クラスの軍人が下宿しており、田代少尉も前年の12月から下宿していた。下宿代は今のように月払いではなく、転勤する時に一括で払っており、歌太郎さんはこれらを含めて「萬日記」にいろいろ書きとめていたという。

 事件当時、岡町の現場近くで銃声を聞いた人はいたが、目撃者はおらず、当時拳銃を持っていたのは将校クラスで、当日、田代少尉の帰りが遅かったことから容疑者になったのではと、二三雄さんは推測する。

 櫻井少佐は野家の一宮神社近くに住んでおり、小学校へ登校する児童の頭を馬上からなでるなど優しく、多くの人に慕われ、恨みをかうような人ではなかったと多くの人から聞いたという。田代少尉も、上官を暗殺するような人物ではなかったと聞いたともいう。

 事件の真相は、軍法会議でも、明らかにはならなかった。


写真=「萬日記」の2ページにわたって事件について書かれている

    

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