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両丹日日新聞2015年8月 4日のニュース

終戦70年:「母と祖父ほかしてきた」 満蒙開拓団孤児の壮絶体験

0803kaitakuhi.jpg 戦時中、国策として旧満州など中国大陸へ送り出された満蒙開拓団の生存者・黒田雅夫さん(79)=亀岡市西つつじケ丘=が1日、福知山市内記一丁目の福知山城公園を訪れ、公園内に建つ「満州開拓顕彰碑」を見学。当時を回顧した。

 顕彰碑は、福知山市と旧天田郡の天田郷開拓団、第二天田郷開拓団の開拓精神や戦争での悲劇的な終焉を伝える石碑。開拓団の引き揚げ者で結成された「天田拓親会」が、郷土史上初めての集団的海外移住の事業を風化させず後世に残そうと、1956年に建立した。

 黒田さんは1944年6月、京都開拓団の一員として両親と弟、祖父の家族5人で吉林省に入植した。しかし父親は現地召集され、そこへ
ソビエト軍が侵攻。終戦後も現地住民からの略奪や暴行が相次いだため、逃避行が始まった。

 この間、弟は中国人に預けられ、母と祖父は死亡した。母は亡くなる前夜、寝ている黒田さんを起こし、粗末なご飯を食べさせ、翌朝息を引き取った。祖父は水を飲んだあと「おおきに」とだけ言い残し、「コトリと死んだ」。

 わずか10歳で孤児になった黒田さんは、飢えと極寒に耐えながら、路上生活を送った。中国人がまんじゅうを放り投げて与えてくれたこともあったという。キリスト教会に保護され、46年6月、舞鶴に引き揚げてきた。

 今は「母や祖父を現地にほかし(ほうりだし)てきた」ことへの思い、当時のつらさ、生きてこられた喜びなどを、「母や祖父の供養になれば」と多くの人に語り継いでいる。

 顕彰碑や「311人の開拓団員並びに家族のうち、死亡者145人」などと書かれた説明板を読みながら、「福知山には立派なものが建てられていてうらやましい。私も亡くなった人を慰める石碑を建立したいという願いがあったが実現せず、あきらめかけていましたが、建てたいという思いを強くしました」と話していた。


写真=満州開拓顕彰碑を見上げる黒田さん

    

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