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両丹日日新聞2015年7月21日のニュース

終戦70年:戦争の断片調べ資料保存 住民らが聞き取りや実地調査

0720nisisan.jpg 戦争体験者が少なくなり、後世に語り継がれることなく忘れ去られようとしている戦争の痕跡がある。福知山市川口中学校区の大人や中高生など地元住民らで3月に発足した「川口ふるさと塾」(石田卓代表)は現在、地域に残る戦争の断片を調査し、戦争を考えるきっかけにしている。

■雲原の防空監視哨跡へも■

 塾は川口地域の歴史を学び、資料を保存し、それらを若い世代に継承していくことが目的。中高生を含む7人が所属し、毎月例会を開いている。戦後70年を迎え、今年度前半は地域の中の戦争・平和関連の歴史を学んでいる。

 6月20日は、雲原の防空監視哨跡を訪れた。

 防空監視哨とは、第2次世界大戦中に米軍機の飛来をいち早く発見するため山頂などに設けられた監視施設。市消防団三岳分団の前身にあたる三岳村警防団の「警防防空日誌」(昭和16−22年)に、団員が勤務した記述があり、さらに実物を見たことがある人がいると分かったため、調査することにした。

 当日は、監視哨を見たことがある雲原の西孝さん(84)の案内で、同塾の吉田武彦副代表(56)、事務局の牧野勲さん(67)、川口中3年の山部咲笑さん、福知山淑徳高校1年の仁科翔君、福知山高校1年の宮本桃花さん、綾部高校1年の前原和貴君らが調査を行った。

 標高330メートルの山頂。くぼみやコンクリートと見られる痕跡があった。70年ぶりに訪れた西さんは、「ニッケル鉱山があった与謝峠や三岳方面がよく見えた」と証言するものの、現在は木や竹が伸び、周囲を見渡すことはできない。

 監視哨は6畳ぐらいの広さで、「監視するところは東の方向(舞鶴方面)に向いていた。近くには防空壕があった。2人ぐらいが詰め、飯ごうに米を入れて持ち込み、自炊していた。水は近くの大きな池からくんでいた」と振り返る。

 従事していたのは坂浦と長尾の人だったという。

 一行は公民館で、当時のことを知る人から聞き取りをした。実物を知る曽根光治さん(85)=雲原=は「2、3度行ったことがあるが、無線があったと思う」と記憶をたどる。また、雲原自治会長の鎌田道嗣さん(68)からも、天田郡雲原村婦人会寺谷支部の会誌(昭和4年〜)の資料を示し、「年2回、『監視哨慰問』との記述があった」との新たな情報を聞いた。

■よその話ではなく身近に感じるように■

 ふるさと塾はこれまでに、防空監視哨とは別に、当時、学童疎開の児童が来ていた夷の大信寺や野花の教念寺も訪れ、戦時中の様子を聞いた。
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 川口中に4年勤務した中学校教師の吉田副代表は「戦時体制の中に地域の人たちが組み込まれていった。戦争はよその話ではなく、自分たちの足元にも戦争につながるものがあることを知ってもらえたら」と話す。

 「戦争のことはよく分かっていませんが、後世に伝えていけるように勉強したい」と意欲的に話していた前原君は、調査をして「戦争が身近に感じられた」と話していた。


写真上=監視哨跡を注意深く見て回った
写真下=当時を知る住民らから聞き取り調査をする生徒ら

    

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