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両丹日日新聞2014年2月26日のニュース

光秀が築城時のわびに海北友松の絵を寄進 福知山研究会が調査

0226yuusyou.jpg 福知山城を築く際に、明智光秀が「迷惑をかけた」として、福知山市下佐々木の威光寺に海北友松の屏風絵を贈ったとされる。丹波福知山明智光秀公研究会(山口正世司会長)の調査で、これを裏付ける資料が各地で見つかりだした。友松は安土桃山時代から江戸時代にかけての絵師で、海北派の始祖。ドラマチックな経歴を持つ人物でもあり、研究会はゆかりの地を巡るバスツアーを3月に企画した。

 天正7年(1579)に光秀が丹波を平定して福知山城を築城。一帯の寺院を取りつぶし、墓石や石塔などを運んで石垣に組み込んだりした。威光寺にも軍使が手勢を引き連れてやってきたが、住職が光秀と同じ濃州生まれだと分かると、取り壊し作業をやめ、後日に海北友松筆の屏風絵を贈った−と寺に伝わっている。

 現存する屏風絵は友松独特のタッチで描かれていて、落款もあるが、いずれも劣化が激しかったりして現段階では友松本人の筆かは、判別できていない。それでも調査にあたっている研究会のメンバーたちは、各地に残る傍証から友松の作に間違いないとの確信を深めている。

 友松は武家の生まれだが、父が戦死して禅門に入り、京都の東福寺で修行。この時に狩野派の絵を学んだとされている。妙心寺の重文「花卉図」、建仁寺の重文「雲龍図」など多くの作品を残しているほか、明智家の家老で春日局の父、斉藤利三らと親交を結び、山崎の合戦で敗れ処刑された利三の遺体を奪って真如堂へ埋葬するといった武勇伝も残している。

 バスツアーは3月9日午前8時、福知山駅南口に集合。長浜市など湖北を巡り、ゆかりの寺で友松の水墨画を見学したり、小谷城戦国歴史資料館で話を聴いたりする。車中でも山口会長が講演をする。福知山帰着は午後5時ごろの予定。旅行業務の取り扱いは日本旅行TiS福知山支店。


写真=海北友松の筆とされる威光寺の屏風絵。光秀公研究会がいま各地で寺伝を裏付ける資料を見つけ出している

    

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