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両丹日日新聞2014年1月 2日のニュース

報恩寺に残る黄金伝説「寺のイチョウの木の下に百尋の金の鎖」 

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 日本には徳川家や明智光秀、豊臣秀吉などにまつわる埋蔵金伝説が各地に残るが、福知山市報恩寺地区にも似たような言い伝えがある。「葛尾にあるお寺のイチョウの木の下に百尋(ひろ)の金の鎖が埋まっている」−。文献や資料に記述があるわけではないが、地域の高齢者のなかにはそんな心躍るような言い伝えを知っている人がいる。

■地域の高齢者が記憶■

 百尋の「尋」とは長さの単位で、大人が両手を広げた程の広さを示す。一尋はおよそ1・8メートルで、百尋は180メートルととてつもなく長い金の鎖だ。葛尾とは報恩寺の山中の地名を指す。寺は葛尾山福性寺。現在は同じ報恩寺の別の場所へ移転している。

 地域活性化グループ・笹の雫の会の会長、平石幸一さん(77)は父親から、葛尾に行くたびによく聞かされていて、大きなイチョウの木の株を見たことがある。

 事務局の栗林拓爾さん(76)も、この言い伝えを記憶している。小学生のころ、地域のおじいさんが、ありかとされる山によく行っていたらしい。
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 金の鎖のことはすっかり忘れていた2人だが、昨年のグループの新年会の場で、酒量が増えていくうちその話題が持ち上がった。

 「景気が悪いなあ」「何か金もうけになることないか」と笑い話をしていたところ、「百尋の金の鎖を見つけよか」と盛り上がり、2月に葛尾の寺跡へと向かった。

■寺跡で目印探すも未発見■

 平石さんは、父親に連れられ寺跡の脇道を通って行き、炭焼きの手伝いをしていた。大きなイチョウの木の株があったことを記憶している。

 一方、栗林さんは小学生のころ、寺跡周辺でアケビ取りなどをしたことがあるから、場所には目星がついていた。

 その場所の周辺で1時間ほど探し、石垣や割れた瓦などは発見したものの、イチョウは見つからなかった。
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 同寺は1930年(昭和5年)、当時の建物をほぼそのまま現在地に移築した。言い伝えについて現住職の桐村正昭さん(58)は「聞いたことがありませんねえ」という。

 桐村さんは葛尾にあったころの寺の写真を保管している。そこには瓦ぶきの本堂の前に、背の高いイチョウの木が確かに写る。

 現在の同寺にも大きなイチョウの木がある。葛尾にあったときのイチョウを挿し木するかして、今では見上げるほど成長している。

 金の鎖は、誰が埋めたのかなど、背景は不明のまま。今も山中に眠っているのか、いないのか。真偽も含めて分かってはいない。


写真上=現福性寺にあるイチョウ
写真中=葛尾にあったころの福性寺本堂の前にイチョウがある(提供)
写真下=現在の寺跡

    

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