鉛筆1本で描く命の鼓動 独学で磨いた技術で魅了 福知山市の谷日原健さん
2026年01月01日 のニュース
一枚の絵が完成するまでに3週間から1カ月。積み重ねた時間が作品の濃淡に宿る。競走馬の筋肉や血管の一本まで描き込む緻密な表現は歴戦の騎手が絶賛するほど。会社に勤めながら、ほぼ毎日、机に向かい鉛筆画を描く。紙と鉛筆だけで生みだされるモノクロの絵が、日原さんの人生に彩りを添えている。
福知山市出身。福知山高校を卒業後、府立福知山高等技術専門校で建築や金属加工を学び、市内の企業に就職した。高校時代は美術部に所属。働き始めてからも気が向いたときにアクリル画を描くことはあったが、本格的に創作と向き合うようになったのは、社会人3年目ごろだった。
「職場と家の往復だけで日々が過ぎていく。人生を振り返った時に『自分はこれをやり遂げた』と、胸を張って言えるものがなかった」
そんな時、ふと過去にテレビで見た鉛筆画が思い浮かんだ。必要なのは紙と鉛筆だけ。その日から独学で制作に打ち込む日々が始まった。
生命線は濃淡
作品は写真などを参考に下書きをし、少しずつ線を重ねる。鉛筆画の生命線は濃淡。色を濃くしていく「足し算」だけでなく、練り消しや綿棒、ブラシを使ってぼかす「引き算」も駆使し、見る人が息をのむような繊細な陰影を表現する。
競走馬を描き始めたのは制作を始めて1年が経った頃。名馬ディープインパクトの訃報を機に、初めて馬を題材にした。
もともと競馬は中継を見る程度だったが、コロナ禍で在宅時間が増えると次第に過去のレース映像を見返すようになり、数々のドラマに心を奪われた。「こんな馬を描いてみたい」。その思いが制作への意欲をかき立てた。
友人が後押し SNSで発信開始
現在、日原さんが作品を発表する場は主にインスタグラム。始めたのは友人の言葉がきっかけだった。
仕事や私生活で忙しかった時期に、ふと「好きな絵で生活ができたら」と友人にこぼした。すると「そう思うんだったら自分から発信しないと」と背中を押され、2020年5月、人生初のSNS登録をし、それまで描きためていた作品や新作を公開し始めた。
ほどなくして作品への反応が届くようになり、フォロワーも増えた。「純粋にうれしかった。自分の中だけにあった絵を人が見てくれる。そう思うと次第に描くペースも安定していきました」と話す。
G1ジョッキーが「家宝にします」
あるとき、日原さんの作品に1件のリアクションが届いた。送り主は競馬界の最高峰のG1レースでも優勝経験のある元トップ騎手で、日原さんも知る名ジョッキーだった。
驚きながらも思わずメッセージを送ると、「素晴らしい鉛筆画。また機会があれば描いてほしい」と返信があった。
社交辞令かもしれない-。それでも日原さんは、どこかで手渡せる日を思い、騎手とその愛馬を描いた。
それから1年以上が過ぎた昨年6月、関西で行われるイベントに騎手が来ると知り会場へ。作品を手渡すと「家宝にします」と喜ばれ、お返しにとサイン色紙を受け取った。「夢のような時間でした」と笑みをこぼす。
作品展へも出展
日原さんは、大阪で年に一度開かれるモノクロ画展に、24年から作品を出展している。
「作品展は技術力も世界観もレベルの高い人が多く、自分なんかの作品がどう評価されるか不安もあった」と、初出展は緊張でいっぱい。それでも来場者から直接感想をもらうと、照れくささもあったが、これまでに経験したことのない喜びがこみ上げた。
展示会後には打ち上げにも参加。出展者同士、作品づくりに関わる話などにも花が咲いた。「普段は絵だったり、競馬のことについて会話する相手が身近にいないので、貴重で楽しい時間を過ごせた。興奮冷めず、宿泊先のホテルではあまり眠れませんでした」と振り返る。
今が一番の青春
鉛筆画を始めて8年。日原さんは「最初は『自分を変えられたら』と思って始めた鉛筆画でしたが、今は好きな絵を描いている時間が心から楽しい」と、声を弾ませる。
「自分は学生時代から一人で過ごすことが多く、いわゆる青春と言われるような時間を送ってきたわけではありません。でも、鉛筆画を通して少しずつ世界が広がり、好きなことを共有できる人たちと出会えた。そう思うと、僕にとっての青春は今なのかもしれませんね」
紙と鉛筆一本から生まれる白黒の世界。その一枚一枚が、日原さんにとって、確かな自信と充実感へとつながっている。
写真(クリックで拡大)上から
・鉛筆1本で馬の躍動感を表現
・午年を記念し描き下ろした新作
・人物画も手掛ける











