【能登半島地震】被災地に届けた笑顔と活気 福知山発ボランティアが福祉施設で縁日
2024年11月25日 のニュース
元日の能登半島地震で被災した石川県穴水町の高齢者福祉施設「朱鷺の苑」(大畑一也施設長)で16日、京都府福知山市民を中心にした有志でつくるボランティア団体が、利用者や地域の人たちに楽しんでもらう催し「朱鷺の縁日」を開いた。作りたての食事を無償で振る舞ったほか、射的や輪投げなどの楽しい模擬店も並び、地域の子どもからお年寄りまでが笑顔いっぱいの時間を過ごした。活動に同行し、現地の様子を取材した。
朱鷺の苑との縁の始まりは、福知山市社会福祉協議会職員の桐村風香さん(28)が、3月にボランティア活動で同施設を訪れたのがきっかけだった。
施設がある穴水町は、1月1日に最大震度6強を観測し、道路は割れ、全壊・半壊家屋が多く発生するなど大きな被害が出た。現在も仮設住宅での生活を余儀なくされている人がいるほか、町を離れて移住した人も多いという。
発災後、同町では全域で断水したが、施設は奇跡的に一週間足らずで生活用水の供給を復旧することができた。電気や入浴設備も利用可能になったため、地域住民たちの避難所としての機能を果たし、多い時には100人ほどが避難生活を送った。
そんな中、桐村さんは被災地の福祉救援を行うボランティア活動に介護職として参加し、同施設を訪れて6日間、現地職員に代わって業務を担った。
「何の縁も無かった施設でしたが、自分が大変な中でも笑顔で仕事に向き合う職員さんたちと関わるうちに、本当に大切にしたい場所になった」と桐村さん。福知山に帰ってからも施設のことが常に頭の片隅にあったと言い、「何かできることはないか」と職場の同僚にも相談し、「施設の人たちが今、求めている支援を」と、利用者らが楽しい時間を過ごせる縁日を企画した。
当初、市社協内の数人で動き出した計画だったが、徐々に支援の輪が広がり、福知山市職員たちでつくる「災害ボランティア部」や福知山公立大学生のほか、被災地での炊き出し経験が豊富な市外のボランティアら総勢30人以上が参加して、「朱鷺の苑応援プロジェクト実行委員会」を結成。約170食分のおでんや天ぷら、鍋料理に加え、フランクフルトやチョコバナナなどの祭りの雰囲気が増す軽食、子どもも大人も楽しめる模擬店が並ぶ、想定していたよりも大規模な縁日が実現した。
「本当の祭りみたい」 子も大人も喜ぶ声
福知山からは約20人が早朝に発ち、現地に昼ごろ到着。ほかのボランティアと合流すると、手分けして料理の仕込みをしたり、テントに電飾を飾りつけるなどの準備を開始。午後3時の開始前になると子どもらが集まりだし、今か今かと待つ姿も見られた。
縁日が始まると会場は一気ににぎやかに。近隣の人たちには事前に縁日の情報が伝えられていて、施設の利用者のほか、親子連れや仮設住宅で暮らす人たちも訪れた。
順番に屋台を巡る人、同じ遊びに何回も挑戦する人と、楽しみ方はそれぞれで、「本当にお祭りに来たみたい」「普段は食べられないものが食べられてうれしいなあ」などと、喜ぶ声があちこちから聞こえた。
大畑施設長(43)は「震災が起きてからは、職員たちの献身的な努力やボランティアの方々による支援があって、何とか施設としての機能を維持できている状態で、利用者さんたちを楽しませられるような催しを開く余裕はありませんでした。そんな中、遠く離れた福知山から来ていただき、こんなにも素敵な催しを開いてもらえて、本当に感謝の思いでいっぱいです」と目を細めた。
縁日の終了が近づくと、元気に遊んでいた男の子(6)が「絶対にまた来てね」と指切りをせがむ光景も見られ、ボランティアたちの顔にもうれしそうな表情が浮かんでいた。
写真上(クリックで拡大)=大人も子どもも縁日を楽しんだ
写真下(クリックで拡大)=ボランティアと施設利用者が談笑する姿も
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楽しい時間はあすへの原動力に
震災当時の様子を語ってくれた施設職員さんの話の中で、特に印象に残っているのが、「苦しかったけど、楽しく過ごしてこられた」という言葉。
理由を尋ねてみると、「発災後は全員が不安な状況にある中でも、みんなが集まれる場所があったからこそ、自分たちの状況を面白おかしく笑い合ったりして、明るく前を向いてこられた」と話す。
県外から支援者が来ることについても、「家族だけ、住民たちだけではどうしても煮詰まってくる。そこで全然関係のない人が自分の話を聞いてくれるだけでも本当に気持ちが楽になった」と言い、「物資や業務の支援など、直接的な援助がうれしいのはもちろんですが、交流行事などの支援もまた、被災者にとっては力になる」と続けた。
食事や遊び、一見すると、その場限りに思えるかもしれない支援でも、人々が集まり楽しいひと時を共有する、その時間こそが、被災地で暮らし続ける人たちが、あすも前を向いて生きるための原動力につながるのではないか。取材を通じ、そう強く感じた。