ハイビスカス持つ観音菩薩 沖縄出身僧侶が三和で仏画
2023年07月12日 のニュース
京都府福知山市三和町友渕に、昨年の夏から民家を借りて、自宅兼アトリエとして創作活動を行う僧侶、中村光雲さん(61)が暮らしている。沖縄県出身の元デザイナーで、現在は絵仏師。独学で仏画を描き始めて約30年になる。
■設計事務所辞めて上京 様々な経験積んで帰郷■
沖縄県那覇市で、1962年に5人きょうだいの三男として生まれた。県内の大学を卒業後、設計事務所に就職。しかし一度限りの人生、自分の可能性を試してみたいと、勤めていた会社を辞め上京した。入社したイベント企画会社で、がむしゃらに働く日々を送った。
様々な経験を積んだあと、沖縄県に戻り、広告代理店に勤務。31歳で独立しデザイン会社を設立した。そのころから趣味で仏画を描き始めた。
仏画とは、仏の姿や仏教に関する事柄を描いた絵のこと。もともとアート作品の一つとして興味があり、デザインをなりわいにする中で、仕事に関係のない作品を作りたいと思ったのがきっかけだった。
■作品一蹴され「仏教を理解しよう」と僧の道へ■
描いていると不思議と心が落ち着き、忙しい日々から開放されるような気持ちで夢中で描き続けた。
自分でも納得できる作品が増えてきたころ、地元の僧侶に見てもらった。
「よく描かれてはいるが、これは仏画ではない。仏教を学んだことはあるのか」と一蹴された。仏画には決まったルールがあり、光雲さんの独創性あふれる作品は受け入れられなかった。
長年描いてきたものが否定され、ショックだったが、生来の前向きな性格ですぐに切り替えた。「仏教を理解した本物の僧侶が描く仏画であれば受け入れられるのでは」と考え、仏教に関心が向いた。
そんな時、運命の出会いがあった。沖縄へ三線を習いに来ていた徳島市にある真言宗大光庵の住職が、光雲さんの思いを知り、弟子にしてくれた。
住職の勧めで2012年に京都の総本山寺院で得度。広島県内の寺院での厳しい修行に耐え、13年に僧侶となった。

翌年、もっと創作に没頭したいと、綾部市に移住。その後、体調面も考慮し、知人に紹介してもらった三和町に移り住んだ。
■沖縄文化を伝えたい■
光雲さんが描く仏画は、和紙に墨やアクリル絵の具、クレヨンなど様々な画材が使われていて、とても色鮮やか。独自の技法で「チャンポン画」と呼ぶ。
観音菩薩に蓮の花ではなく、沖縄を代表する花、ハイビスカスを持たせるのも光雲さんならでは。
ハイビスカスは和名で仏桑花、沖縄県では後生花(あの世の花)とも呼ばれる。仏花として墓前に供える習慣もあり、現世とあの世とを結ぶ花になっている。

「邪道と言われるかもしれませんが、本職はデザイナーであり、独創性は出したい。私だからつくれる古里の文化を織り交ぜた作品を通して、沖縄のことを知ってもらえたらうれしい。作品を見た人は初めは驚かれますが、理由を話すと納得し、興味を示してくれます」と光雲さんは楽しそうに話す。
自宅には仏画の他にも多様な作品が並ぶ。
作品の一つ、死んだサンゴを加工して作る「海神獅子」(ウンジャミシーサー)は、沖縄のサンゴが死滅せぬよう環境保全を訴える思いを込める。顔や手足もサンゴを原料としたしっくいで出来ている。

作品は全国にファンがいて、特に沖縄出身者から高い人気を誇る。口コミで広まり、譲ってほしいという人が全国から光雲さん宅を訪れている。
■地域になじみ、教室開いて交流の場に■
三和町に移住して1年。絵がうまくて面白いお坊さんとして、今ではすっかり地域になじむ。
地域の人の要望を受け、せっけんをナイフで削って作品を作る「カービング教室」を自宅で開く。教室はご近所さん同士の楽しい交流の場にもなっている。
また、毎日朝と夕方にお経を唱え、僧侶としてのつとめも欠かさない。
穏やかな日々を過ごせる福知山について、光雲さんは「いろいろな町を見てきましたが、福知山は居心地が良く、広い分野で大きな可能性を秘めていると、デザイナー畑を歩んできた自分の目には映ります。私は人よりも少しだけユニークな人生を送ってきました。この経験が何かのお役に立てば-とも思っています。お坊さんとして、デザイナーとして、興味がある方は気軽に遊びにきてくれたらうれしいです。いつでもお待ちしています」と優しい笑顔で話す。
写真(クリックで拡大)上から
繊細なタッチで描く仏画。手には沖縄を代表するハイビスカス
中村光雲さん。朝と夕方のつとめは毎日欠かさない
サンゴの「海神獅子」。顔や手足はしっくいで出来ている
せっけんカービングの作品
自宅で開く教室の様子