北丹鉄道の廃線跡を歩いて観光ガイド講座 市街地に残る駅跡、橋台
2022年09月16日 のニュース
京都府福知山市の旧市域と旧大江町間を走った「北丹鉄道」の魅力を伝える観光ガイドの養成講座が13、14両日に開かれた。受講者たちが実際に廃線跡を歩いたりして、北丹鉄道の歴史を知り、後世に語り継いでいく大切さをかみ締めた。福知山観光協会、同協会大江支部主催。
初日は大江町総合会館で講話があり、約20人が受講した。福知山公立大学の倉田良樹教授が北丹鉄道(1923~71年)の概要を説明。非電化の単線で、1950年までは蒸気機関車が走り、その後はディーゼル機関車、気動車に移行した。保有車両数は少なかったと語った。
由良川の河川敷を最高時速25キロのゆっくりしたスピードで走り、旧国鉄福知山駅に隣接する北丹福知山駅から河守駅までの12・4キロを結ぶのに45~52分かかった。68年時点で一日6往復。由良川が氾濫した時は運行を休止した。
2日目は実地研修があり、8人がJR・京都丹後鉄道福知山駅から、北丹鉄道の本社と福知山西駅があった昭和新町周辺までの軌道跡を歩いた。
福知山観光ガイドの会副会長の芦田八郎さんが案内役を務めた。一行は所どころで立ち止まり、古い地図を見ながら、線路が敷かれていた場所を確認。途中の北羽合では、西川に残っている橋台も見た。
かつて使われた蒸気機関車2号機のモニュメントがある旧福知山西駅跡の西駅公園では、芦田さんが当時の客車の写真を見せ、南海電鉄の古い木造車両を譲り受けて走らせていたことを説明。受講者たちは写真と廃線跡に立った住宅地などを見比べながら、歴史のある北丹鉄道に思いをはせていた。
廃線跡を歩いた大江町河守清水の岸和田正人さん(65)は「河守駅は昔、子どもたちの遊び場になっていました。河守駅から45分かけて西駅まで行き、そこから広小路や新町に遊びにいった記憶があります。歩いてみて懐かしい感じがしました。こうした歴史を後世に語り伝えていかなければなりません」と話していた。
写真上=福知山西駅があった西駅公園で説明を受ける受講者ら
写真下=西川に残る鉄道橋跡の橋台