奮闘組合長死去で生産組合解散 新規就農者が遺志継ぎ三和ぶどう栽培

2020年04月24日 のニュース

 京阪神までファンが広まる秋の味覚、「三和ぶどう」を出荷していた京都府福知山市三和町友渕大原野開発生産組合は、組合員の高齢化や資金難などを理由に、3月末で32年間の歴史に幕を閉じた。組合の農地はこのまま荒れるに任せるしかないのか。地域に不安が募っていたが、住民の思いを背負った新規就農者が、個人で栽培に取り組みだした。

 引き継いだのは、宇治市出身の吉見篤一さん(48)=友渕=。名古屋市で料理人をしていたが、勤務先が倒産し、もともと果樹園に興味があったことから、農家への転身を決意した。生産組合の4代目会長、高根利数さんとの出会いがきっかけで、2017年に三和町へ移住。研修を経て19年から組合員となり、ブドウ作りに携わってきた。

 「三和ぶどう」は山あいの傾斜地に耕地が広がる三和の土壌に適した特産品をと、大身と友渕で長年栽培、収穫されている。品種はマスカットベリーAで、大粒で濃い甘みが特徴。元副組合長の嘉寺好秋さん(73)によると、友渕では1988年に約1ヘクタールの畑に植え、90年に初収穫。98年には収穫量約15トン、売り上げは1400万円を記録した。

 だが、以降は組合員の減少や高齢化で、収穫量も徐々に落ち込むなどして、近年は赤字が続いていた。さらに、厳しい状況に立ち向かっていた高根会長が2月に病気で亡くなり、組合は3月の総会で解散を決断した。

 吉見さんは「『地元をなんとかして盛り上げたい』『三和ぶどうを守っていきたい』という気持ちが強かった高根会長の遺志を引き継ぎたい」と、3分の1の約0・3ヘクタールの畑で継続して作業を進めている。

 また「生産を絶やさないよう若い世代にも携わってもらいたい」と協力を求め、来年には町内外の若手農業従事者が残りの約0・7ヘクタール分を担当する予定という。

 今年については、元組合員が0・2アールほどで栽培するという。
 
 
写真=芽かきの作業をする吉見さん

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