光秀が世に出た丸岡と出世した福知山 住民がお城で交流
2019年07月02日 のニュース
明智光秀ゆかりの地、福井県坂井市丸岡町高椋地区の光秀愛好家ら31人が30日、京都府福知山市内記一丁目の福知山城などを訪れた。丹波福知山明智光秀公研究会(足立重久会長)とも交流し、光秀が主人公のNHK大河ドラマの来年の放送に向けて機運を高めた。
高椋地区には、明智城落城により落ち延びてきた光秀が再起の機会をうかがい、家族とともに約10年過ごした称念寺(高尾察誠住職)がある。様々な逸話が残り、光秀の世に出るきっかけとなった地で、光秀の名が記録にはっきりと残る最初のころとされるが、地元でもそのことを知らない住民がいるなど、まだまだ周知されていないという。
大河の放送が決まり、光秀をPRしていきたいと、昨年から高椋地区のまちづくり協議会が、ゆかりの地を巡る研修旅行を企画。1回目は光秀の墓がある西教寺(滋賀県)に行き、2回目として光秀が武将として名をはせた地・福知山を選んだ。
一行は、光秀をまつる御霊神社で足立常秋宮司から話を聞いたあと、光秀が築いた福知山城を見学。福知山ガイドの会の2人から案内を受け、光秀が住民のために水害対策に取り組んだことなどを聞いた。
また、新たな観光スポットとして6月2日に市が福知山城天守閣横の本丸広場に設置した、光秀の音声が流れる自販機などを興味深く見ていた。
このあと、市民交流プラザに移動し、福知山研究会の会員たちと交流。お互いの活動報告、浪人の光秀が苦労して生活した称念寺についての解説があった。
高尾住職(65)は「天下の大反逆者、謀反人とされる光秀公をこつこつと検証してきたが、そうではないと光が当たってきてうれしい。福知山の人の努力もあって見直されてきた」と喜んだ。
また「大河放送が決まり、(高椋地区においても)絶好のチャンスと思っている。(歴史的に文献に登場するのが)称念寺が最初で、まちづくりなどの成果を出したピークの時期が福知山なので、一番縁があると思う。これからも交流し話が深まっていけば」と今後の発展に期待した。
写真=福知山城を訪れた高椋地区の光秀愛好家たち