災害続いた平成の絆を象徴 阪神大震災で福知山に移植した桜
2019年04月24日 のニュース

平成は大きな災害が続き、そのたびに「絆」が見直された時代だった。阪神淡路大震災も、その一つ。新時代の令和へ伝え残したい絆を象徴する桜が、京都府福知山市十三丘の産業用機械製造業、前橋工業の玄関先にある。阪神淡路大震災で伐採されるところだったものを、縁あって移植した。混乱の中を神戸から福知山へと運ばれ、人びとに見守られながらしっかり根を張り、今年も見事に花を咲かせた。
1995年1月17日早朝、神戸市で震度7を観測する大地震が発生。福知山市内でも震度4の揺れがあり、飛び起きた前橋徹社長(70)は、取引先がある神戸市内へ即日向かった。「街がボロボロで、中心地から煙が立ち上り、異様な光景だった」と当時を振り返る。
震災発生から1週間ほどたったころ、神戸市須磨区の取引先商社から、被災した事務所を修理する業者が見つからないと、助けを求められた。
建物は外壁タイルがはがれ、柱がむき出しの箇所もあった。福知山市内の建設業者につないで修理の段取りを整えたが、階段横にあるヤエザクラが工事の足場づくりの邪魔になった。
桜をどうするかの話になったとき、切るのは忍びないと思った前橋社長。「うち会社の敷地に移植したい」と申し出ると、商社も快く受け入れた。
当時、木は高さ5メートル、幅2・5メートルほどで、4トンユニック車に積んで福知山へと運び、会社の玄関先に植えた。毎年すくすくと大きくなり、今では枝が約10メートル四方に張るまで成長して咲き誇る。
阪神淡路大震災以降も、東日本大震災、熊本地震などがあり、福知山市内でも台風や豪雨災害に何度も見舞われて、平成は自然災害の猛威に苦しめられた時代だった。
平成の世が終わり、令和の新しい時代が始まる時を契機に、桜に名前をつけてさらに守っていきたいという思いがこみ上げた。
福知山市産業観光課に事務局を置く産学官連携組織パワーオンネットを介して、福知山公立大学の学生たちが名付け親になってくれることになり、近くアイデアを募ることにした。
前橋社長は「桜が咲くたびに震災当時のことを思い出します。桜は千年といわれる長寿に会社があやかれるよう、これからも大切にしていきたい」と目を細める。
写真=阪神淡路大震災被災地から移植して24年。大きく育った前橋工業のヤエザクラ