夜久野に特別な愛着 仲間として接した松本零士さん

2023年02月21日 のニュース

 松本零士さんに電話を差し上げたのは2002年のことだった。京都府福知山市夜久野に住む陶芸家の衣川タカ子さんから、戦後に夜久野高原で暮らした天文学者・荒木俊馬さんと松本さんに関係があるらしいと聞き、裏付けをとるため出版社に連絡したのが最初だった。

 当時、松本さんはマスコミとの接触を一切断っている時期だった。出版社に事情を説明すると、「ご本人に一度尋ねてみます」との返事。後日、「おたくにだけ、特別に取材を受けて下さるそうです」と電話番号を教えてもらえた。

 番号にかければアシスタントさんか秘書さんが電話に出て、取り次いで下さるのだと思っていたら、電話に出られたのは、まさかのご本人。うかつにも心の準備が間に合わず、しどろもどろの質問となってしまったが、松本さんはやさしく応じ、「荒木先生の記事を書かれるということであれば」と、荒木さんへの思いを訥々語り始めた。やがて口調は熱を帯び、延々と荒木さんの著書の素晴らしさを語る。最後には、自身の作品着想に大きな影響を与えた荒木さんの著書『大宇宙の旅』が生まれた夜久野のために役に立てることがあるのなら、声をかけてもらえば-との言葉までもらったインタビューだった。

 その後、衣川さんたちが『銀河鉄道999』で町おこしを始め、夜久野の町が動き出す。松本さんが理事長を務める公益財団法人「日本宇宙少年団」の夜久野分団が結成されることにもなり、同年12月1日に結団式が開かれた。

 通常は少年団本部の職員が出席するだけだが、夜久野は特別な地だとして、松本理事長が訪れる異例の結団式となった。

 JAXAと連携し、子どもたちが科学と親しみ、無限のフロンティア・宇宙へ目を向けるための活動をする団体。松本さんは「志を同じくする人が増えることは、うれしいことです。一緒に夢を追い続けましょう」と声をかけ、リーダー(分団指導者)たちの両手を、驚くほどの強さで握った。いきさつからリーダーの一人として加わっていた私は、あの手の強さを今も覚えている。国民的人気マンガを手がけてきた大作家ながら、偉ぶったところが一つも無い、会場にいた全員を仲間として接する、松本作品の登場人物さながらの人柄だった。

 結団式に続く一般公開の講演会では、『大宇宙の旅』は私のDNAに組み込まれている-と松本さんならではの表現で、荒木さんへの感謝の気持ちを伝えた。

 地元の人たちは当初、夜久野高原に接するJR上夜久野駅を「銀河鉄道999の始発駅」として認めてもらいたいと願ったが、すでに自身ゆかりのまちの2駅を始発駅認定していた。「始発駅という名は、線路の端と端の2つしか提供できないので」と、代わりに「銀河鉄道999の心が生まれた」地だと自由に名乗って良いとのお墨付きが、この日、夜久野に贈られた。

 サインを頼まれれば色紙一枚ずつにメーテルを丁寧に描いて名前を書き、色紙が残っていれば、周囲が焦りながら「先生、出発のお時間です」と声をかけてもペンを走らせ続ける人でもあった。

 ことあるごとに夜久野を気にかけ、モンゴルに協力したお礼にと同国政府から贈られた遊牧民の移動式住居・ゲルを、「夜久野高原で子どもたちに使ってもらえたらうれしい」と夜久野分団にプレゼントするなど、夜久野に特別な思いを抱き続けた松本零士さん。これからも、銀河の星々を旅しながら、夜久野を見守って下さるにちがいない。(八木俊樹)


 
写真=講演会で「銀河鉄道999の心が生まれた夜久野」のお墨付きの色紙を披露する松本零士さん

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