天文学者・荒木俊馬氏、夜久野の隠棲家屋に書を残す

2023年06月11日 のニュース

 京都府福知山市夜久野町平野の森山龍彦さん(77)は、天文学者で京都産業大学創設者、荒木俊馬氏(1897~1978)が終戦直後の一時期、隠棲生活をしていた家屋に住む。理容院(一時期、美容院併設)の森山家が荒木氏から家屋を購入した際、「商売繁盛」の願いを込めた書が入った額を贈られており、家宝として大切にしている。

 荒木氏は終戦直後から約9年間、平野を中心に、夜久野の星空を眺めながら過ごし、数多くの書物を執筆した。地域に溶け込み、晴耕雨読の日々を過ごし、文化、教育振興などにも尽くした。

 荒木氏は昭和29年(1954)に京都市に戻った。その際、夜久野の川沿いに建つ「大川端の家」と呼ばれた家屋の利用を、森山さんの父、故・博さんに持ち掛けた。出身地がともに熊本県という縁で親交が深かったという。この家の2軒隣で理容院を営んでいた博さんは、建物が一回り大きいことなどから転居を決め、改装したうえで入居した。現在は龍彦さんの妻、梢さん(76)が理容院を継いでいる。

 書入りの額は、店の待合スペースの壁に飾っている。高さ、幅それぞれ約60センチの大きさ。「回頭一笑百媚生」と書かれており、森山さんは「振り返って一度笑うと、百の愛嬌がこぼれるという意味で、好感をもたれる接客を指南する言葉だと思う」と話す。寄贈した時期「昭和甲午春分(昭和29年春)」や雅号を付けた「畴山荒木俊馬書」の署名も入っている。

 このほか、俊馬氏の旅日記や随筆4冊なども保管。息子で同大学名誉教授だった故・荒木雄豪氏が2005年に持参したという。このうち、「畴山旅画帖」はドイツに留学し、天体物理学や相対性理論などを学んだ際、ヨーロッパ各地を旅したときなどのスケッチを主に収めている。自然科学の研究には芸術分野の能力が必要と考えていたことから、絵画にも強い関心を寄せていたことが伺える。

 森山さんは夜久野高原を中心とした観光推進団体・やくの絆の会の会長を務める。「荒木先生だけでなく、妻の京子さんも歌人、踊りの師匠として活躍されていました。執筆活動のほか、畑によく出て村人と交流しながら、自給自足の生活をされていたと聞きます。ご子息と遊んだ思い出も残っています。高原に点在する史跡などの成り立ちだけでなく、偉大なお二人の存在を後世に伝えていきたい」と話している。

 

写真上(クリックで拡大)=かつて「大川端の家」と呼ばれた森山さん方
写真下(クリックで拡大)=理容院に飾っている荒木氏の書と森山さん

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