仕事は死と隣り合わせ 「河守鉱山」元従業員の家族が日常を語る
2022年11月16日 のニュース

福知山市大江町佛性寺、日本の鬼の交流博物館で12日、鬼博が建つ酒呑童子の里一帯にあった河守鉱山についての講義があり、元従業員の家族が鉱山の規模や労働者の日常生活などを話した。
講義は、大江山の鬼伝説や伝説を生かした地域づくりを考える「大江山鬼の学校2022」(世界鬼学会主催)の一環で、父親が鉱山でボーリングや鉱脈の調査などに携わっていた同町二俣二の農業、岡垣清己さん(73)が講師となった。
河守鉱山は1929年から、日本鉱業による本格的な操業が始まり、黄銅鉱やクロム鉄鉱などを産出していた。一番多い時で219人が働き、その家族ら約600人で一つのまちがつくられていたが、73年に完全閉山した。
岡垣さんは講義で、最盛期には年間約12万トンを産出していたことなど鉱山の概要を説明。町の中心地の河守から通勤バスが出ていて、従業員が降りたあとは、現在の大江中や大江高の生徒用の通学バスになっていたことも話した。
従業員の給料面については「いつ落盤事故が起きるか分からず、死と隣り合わせの仕事だったため、高額が支給されていたようです」と明かした。
また鉱山内のクラブ活動も盛んで、野球チームは強く、遠征で試合に出掛けたこともあったという。
岡垣さんは「従業員にとっては苦労があったと思われるが、みなさん楽しく生活されていたようです」と伝えた。
15人が聴講。坑道内で照明器具として使われた「カンテラ」などの写真を見ながら、話に聴き入った。
写真=写真を見せながら話す岡垣さん