鬼に魅せられた彫刻家 ウルトラ怪獣の成田亨さん

2022年01月03日 のニュース

 ウルトラ怪獣の生みの親で、彫刻家の成田亨さん(1929~2002)が亡くなって今年で20年になる。鬼に関心を持ち、鬼退治伝説で有名な福知山市大江町を何度も訪れた。町内には、成田さんが造った鬼モニュメントが立ち、酒呑童子の里のシンボルとして今も輝きを放つ。

 成田さんと大江とのかかわりを探った。

 成田さんは兵庫県神戸市生まれ。すぐに青森県に移住し、54年に武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)を卒業した。この年に東宝映画「ゴジラ」にかかわるアルバイトをしたのがきっかけで、特撮番組「ウルトラQ」に登場する怪獣や宇宙人のデザインを手掛け、「ウルトラマン」の美術総監督を務めた。

 晩年、日本のモンスターを描くことをテーマに活動する中で、鬼に興味を持ち、源頼光の鬼退治伝説が残る大江町に足を運んだ。

 88年に日本のモンスターである鬼についての詳しい情報を得るため、旧大江町役場を訪れた際、鬼モニュメント建立の構想を知り、「ぜひ私に造らせてほしい」と訴え、計画が実現した。

 鬼モニュメントは、日本の鬼の交流博物館などがある酒呑童子の里を見下ろせる佛性寺の小高い丘の上に建立した。

■台座の上に立つ酒呑童子など3鬼■

 高さ5メートルのコンクリート製台座を据え付け、その上に頼光らに討たれた酒呑童子(高さ3メートル)とその手下の茨木童子(同2・5メートル)、星熊童子(同2メートル)の3体のブロンズ像を立たせた。

 酒呑童子は遠くの都を指差し、星熊童子は身をくねらせて威嚇する格好。茨木童子は静かに周囲を威圧する姿で立つ。どの方向から見てもいずれかの鬼の顔が見えるように工夫した。

 成田さんは、滋賀県大津市にあったアトリエで像を制作。現地での工事に際しては、足しげく通い、進捗状況を見守った。モニュメントは90年に完成。大江山鬼伝説1千年祭で除幕式があり、自身も出席した。

■納得いくまでやる■

 当時町職員だった赤松武司さん(69)=大江町金屋=は、成田さんが役場を訪れた時に応対した。「成田さんはモンスターの研究を深め、その中心が鬼との認識を持っていた。制作に関しては時間を惜しまず、納得いくまでやる芸術家そのものでした」と振り返る。

 成田さんが生前に造ったブロンズ像は2基とされるが、鬼モニュメントについては「良いものができた」と喜んでいたという。

 モニュメントの建設決定後も大江町を訪れ、講演や座談会で鬼について話した。日本の鬼の交流博物館初代館長で、現在名誉館長を務める村上政市さん(91)=河守=は「成田さんは東北の鬼に対して愛着を持っておられ、大江の鬼についても権力に歯向かい、敗れた存在として親しみを込められた」と振り返る。

 また「モニュメントに対しては愛着がすごく、完成後も像の周辺の掃除や修復に来て、私もお付き合いしました。私より年齢が一つ上で、親しくしてもらい、夜遅くまで鬼について語り合いました」と懐かしむ。

 成田さんは鬼の絵も描いた。鬼博はアクリル絵の具で描かれた「酒呑童子」や「餓鬼」「阿修羅」などの作品約20点を所蔵。迫力あるタッチの作品ばかりで、常設展や特別展などで展示してきた。

 このほかモニュメントのデッサンや趣旨を書いた文章、鬼の像を作る際の参考にするため浮世絵などから酒呑童子ら鬼の身長を推測して記した表など、貴重な資料が町内に多く残されている。

 鬼博の佐藤秀樹館長(66)は「鬼の絵は重要な資料で、敗者である鬼に感情移入して描かれていて、何度見ても飽きない。今後も多くの人たちに見てもらえるようにしたい」と話している。

写真は上から
 佛性寺の小高い丘の上に建つ鬼モニュメント
 大江町内で開かれた座談会で語り合う成田さん(右)と村上・日本の鬼の交流博物館名誉館長(市役所大江支所提供)
 成田さんが描いた鬼モニュメントのデザイン画
 ありし日の成田さん(日本の鬼の交流博物館所蔵、市教委提供)
 昨年秋に日本の鬼の交流博物館で開かれた「成田亨と鬼展」では、鬼の絵約20点が並んだ

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