中佐々木の山中に新田義貞の妻・勾當内侍の墓 2世帯3人で守る
2021年10月01日 のニュース

鎌倉幕府の倒幕に貢献した南北朝時代の武将・新田義貞(1301-1338年)の妻の一人、「勾當内侍(こうとうのないし)」とその母親のものと伝わる墓が、京都府福知山市中佐々木の山中にある。地元の2世帯3人だけで、今もお参りや定期的な掃除を欠かさず、大切に守り続けている。
勾當内侍は南北朝時代の女官。義貞は、のちに室町幕府を開く足利高(尊)氏と戦い、越前(福井)に逃れ戦死した。一方、義貞に招かれ越前へ向かった勾當内待は、その途中で義貞の戦死を知り、京都で菩提を弔い余生を送ったという説や、琵琶湖に入水して亡くなったという説などがある。
中佐々木の仏坂地区で暮らす岡田宗宏さん(83)、瑞枝さん(84)夫妻によると、勾當内待は越前への行き帰りに、母親と一緒に仏坂に立ち寄り、世話をしたのが岡田姓の人たちだったという。

この地で生まれ育った瑞枝さんは祖父から、「勾當内侍は豊原という名前を持っていて、世話を受けたお礼に豊原を名乗ってほしいと言われたが、恐れ多いので断った」「きれいなかごに乗ってこられた」「(勾當内侍の)母親が、中佐々木がある三岳の生まれだった」というエピソードを聞いている。
いつから始まったか定かではないが、仏坂に住む岡田姓の5軒が毎年9月16日か17日ごろに当番の家に集まり、混ぜご飯、けんちん汁、煮豆などをこしらえ、一緒に味わっていた。当番は墓掃除もしていた。開催年と当番の名前が記された帳面には、「明治九年」の文字が見られる。
岡田夫妻と岡田千鶴子さん(81)は「集まりは、多い時には5世帯の40人ほどが集まった年もあって、とてもにぎやかでした。平成21年(2009)ごろまでは続けていましたが、今では2軒だけになり、集まりもなくなりました」と振り返る。
それでも3人は「盆や彼岸には墓の周囲の草を刈るなど、掃除をしています。できる限り続けたい」と話している。
勾當内侍の墓は、滋賀県や群馬県などにもあるという。
写真上=お参りをする瑞枝さん(右)と千鶴子さん
写真下=開催年などが記された帳面