山頂に放置された「行者さん」をふもとに移転 9年越しの実現 今年の夏はお参りしやすく

2021年07月01日 のニュース

 京都府福知山市三和町芦渕の住民たちが26日、地元の山の山頂に長年放置されていた行者石像をふもとに移転した。同日、遷座開眼法要を営み、新しく作った祠の工事完成を祝った。

 地元の人によると、昔は行者信仰の厚い芦渕区民が行者講を組織し、石像を祭る通称「大バイ山」へ毎年夏に登り、行者参りをしていたが、いつしか石像を管理する組織は消滅し、行事も途絶えたという。

 長らく地元の人も頂上に上がることはなく、昔使っていた参道は荒れて通ることもできなくなった。そのような中、2012年に芦渕区7組(岡村章広組長、11世帯)の集まりで石像のことが話題となり、今年移転への動きが本格化した。

 2月の現地調査では、石像の土台に刻まれた文字から、当時の行者講関係者たちが明治29年(1896)に建立し直したことなどが分かった。移転先は、7組が管理する山のふもとにある地蔵尊の祠近くにした。

 4月に祠の新調工事に取り掛かり、設計や土台の基礎作り、社の制作などほとんどの作業を住民たちが力を合わせて実施。高さ200センチ、幅140センチ、奥行き170センチほどの本格的な祠が完成した。

 26日の遷座開眼法要では、芦渕の廣雲寺の村井俊道住職が読経し、参列した18人は一人ずつ線香をあげたあと、手を合わせた。

 岡村捷久さん(77)は「子どものころに行者参りをした記憶がありますが、いつしか無くなった。話が出てから9年越しの完成。8月の地蔵盆には、行者さんにもお参りしていきたい」と話す。

遷座を記念して道標を復元

 また7組は、石像遷座記念と交通安全を願って、地蔵尊を祭る祠近くにかつてあったとされる道標を復元。旧市内に残っているものや江戸時代に使われた字体を参考にして再現し、高さ90センチの角柱型の道標を設置した。

 この場所は、旧市内から三和町大原の大原神社を経て京都市を結ぶ裏街道と、出水時に使うう回路「水まわり道」との分岐地点にあり、昔は多くの旅人が利用したという。

 発起人の一人、岡部一稔さん(85)は「今は水まわり道の意味を知る人も少なくなった。江戸時代の道標のほとんどが、旅人の道中安全を祈願して建立されている。旅の文化を後世に伝えるとともに、昔の旅を想像させるよすがになれば」と話していた。


写真上=遷座開眼法要で手を合わせる参列者たち
写真下=遷座記念に復元した道標

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