大内城主の供養、今も 中六人部の堀家6世帯
2026年03月09日 のニュース
戦国時代の大内城(京都府福知山市中六人部地区)の城主だった堀廣(広)正の命日に合わせ、末裔の堀家が、毎年、同市後正寺の墓所で法要を連綿と営み、かつての領主である自分たちの先祖をしのんでいる。
大内城跡は、中六地区の字大内にあり、1981年(昭和56年)から、現在の舞鶴若狭自動車道の建設に伴い発掘調査が始まった。その結果、平安時代後半から鎌倉時代前半にかけては「居館」として利用されたことが分かったという。
南北朝時代から戦国時代にかけては山城だったといい、丹波地域の地誌『丹波志』などによると、大内城は16世紀前半に堀氏29代の堀貞次が造り、16世紀後半、31代の広正のときに黒井城主の赤井氏に滅ばされ、帰農した-とされている。
命日は429年前の1597年(慶長2年)2月20日で、豊臣秀吉による朝鮮出兵「文禄・慶長の役」の後半、慶長の役の時期にあたる。
墓所は現在、6世帯が守っている。当番の家が1年間、自宅で「隋厳院殿鐵山霊水居士」の戒名が記された位牌を預かり、墓所の掃除を定期的に行う。
命日に近い2月14日の法要には5人が参列し、観音寺=観音寺=の小籔実英住職が読経。参列者は焼香したり、手を合わせたりして先祖をしのんだ。
堀慶太郎さん(78)は「盆のころには、小学生のころから親に連れられてここに来て、掃除をしたりしていました。孫にも『参っとかなあかんよ』と言い聞かせてお盆に連れて来ています」といい、他の参列者も「法要は生きている間は続けたい」などと話していた。
別の堀株7世帯も先祖供養続ける
また、広正の堀家とは別の堀家の7世帯も、先祖の法要を毎年2月に営み、供養を続けている。
当番家は「月峯宗圓居士」「花月妙香大姉」の2人の戒名が書かれた位牌と掛け軸を1年間仏壇に飾ることになっている。俗名は分からない。
2人は江戸時代の夫婦と思われ、大内城を守っていた武士の一人の流れをくんでいるとされ、堀家の人たちは「城主の奥方につながる家系」と伝えられている。
堀家の1880年(明治13年)に書かれたと思われる資料によると、月峯宗圓居士の命日は1696年(元禄9年)、妻の花月妙香大姉の命日は1686年(貞享3年)となっている。
2月22日には後正寺の墓地にある墓石の前で、来迎院=池田=の朝倉泰観住職が読経し、7人の参列者全員で般若心経を唱えた。
手作りの位牌を仏壇に置いて毎朝手を合わせているという堀武之さん(82)は「以前は漆塗りのおわんや皿などの食器一式もあり、当番家で食事をしたり、料理屋さんで食事をしたりしていました。法要は続けていかないといけないですね」と話していた。
この2つの堀家とは別の堀家も、先祖の法要を毎年続けているという。
写真上(クリックで拡大)=堀広正の墓石の前で手を合わせた
写真下(クリックで拡大)=2人の戒名が書かれた墓石の前で読経した










