福知山城 来年に再建40年 屋根工事の思い出懐古「葺いた瓦は今も誇り」 当時の職人植田さん
2025年10月22日 のニュース
京都府福知山市のシンボル、福知山城が再建されてから、来年で40周年を迎える。明智光秀が築き、明治の廃城令で姿を消した天守が、昭和の終わりに市民の浄財と匠の技でよみがえった。昭和61年(1986)11月9日、総建設費約8億1千万円をかけて竣工。携わった瓦職人の一人、植田瓦=桔梗が丘=の前社長、植田加志夫さん(88)=鍛冶町=は「命がけだけど、最高の仕事だった。葺いた瓦は今も誇りです」と当時を振り返る。
「瓦一枚運動」市民の力で実現
市や両丹日日新聞社の記事によると、福知山城再建への機運は昭和40年代に高まり、昭和48年には東京工業大学名誉教授による基本設計が描かれ、地質調査にも着手。だが、オイルショックで計画は一度頓挫した。
転機は昭和57年。塩見精太郎市長が市議会で建設の意向を表明。国の補助金約2億円が見込まれたことを追い風に、翌年に期成会が発足。「瓦一枚運動」と呼ばれた市民の寄付を募る運動が始まった。
天守閣の瓦1枚に相当する一口3千円で呼びかけ、最終的に約8500件、5億1千万円が寄せられた。国の補助金が減額される事態もあったが、市民の浄財がその穴を埋めた。
施工は松村組と西田工業の共同企業体が請け負った。昭和59年8月に着工。植田瓦はしゃちほこの設置を含む屋根の工事で参加した。
当時、植田瓦は城に近い内記一丁目にあり、「いつかは城をやってみたい」と思っていたところに仕事の話が舞い込んだ。民家の屋根を中心に手掛けていた会社にとって城の瓦は初挑戦。「独学で調べながら、仲間と力を合わせてなんとかやり遂げた。初めての城の瓦で、並大抵のことではなかった」
天守の高さは約20メートル。足場は限られ、安全設備も現在ほど整っていなかった。冬場は冷たい風が吹きつけ、職人たちはドラム缶に火をたきながら手を温め作業した。労働基準監督署の安全指導を受け、「けが人を出してはならない」と緊張感が漂った。数々の苦労を乗り越えたからこそ、完成したときの喜びはひとしおで、植田さんは「これまでの仕事で一番心に残っている」と語る。
この城は福知山の宝
完成から約40年。植田さんは現在、毎日のように猪崎の畑へ向かう。その途中、音無瀬橋から城に手を合わせている。「この城を見るたび、当時の仲間の顔が浮かび、あのときの熱気を思い出す。福知山の宝だと思う」と目を細めた。
GCFで寄付募る、城の景観維持費など
福知山市、来年1月まで
市は再建40周年と2028年の築城450年に向けて、ふるさと納税を活用したガバメントクラウドファンディング(GCF)を開始した。寄付は城の景観維持費や記念企画の費用に充てる。目標金額は300万円で来年1月12日まで募集する。
GCFはクラウドファンディング型でふるさと納税を募る仕組み。サイト「ふるさとチョイス」を運営するトラストバンクが提供している。市によると、城周辺の木々が成長したことで全体像が見えづらくなっていて、樹木剪定などで環境を整備し、市内への観光誘客などにつなげたいという。
写真上(クリックで拡大)=天守閣にしゃちほこを取り付ける作業員(市提供)
写真下(クリックで拡大)=当時の現場を思い返す植田さん








