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両丹日日新聞2017年7月11日のニュース

悲運の機関車DD54(3) 運用中に部品交換

DD54 車両トラブルが続発し、十分な活躍が出来なかった悲運の旧国鉄のDD54形ディーゼル機関車。京都府福知山市の福知山機関区で検査係に従事していた大地洋次郎さん(76)=福知山市厚中問屋町=は、DD54の検査にもよく携わった。

 DD54はエンジンとトルクコンバーター以外の動力台車やブレーキシステムなどの足回りは、日本の技術で造り上げていた。エンジンは旧西ドイツの精緻な技術を駆使して造られていて、複雑な構造だっただけに保守、点検にはてこずった。「長い時間がかかったことを覚えています」と大地さん。「実際に運用中のDD54に乗車して点検したことがあり、途中で部品を取り換えたこともあります」と当時を振り返る。

 大きなトラブルもあった。68年には客車をけん引し、山陰線の鳥取−湖山間を走行中、変速機から車輪に動力を伝える推進軸が破損したことで脱線した。

 このようなトラブルが続いて全車両の廃車が決まり、最後に残った1両が搬出される際には、最後の点検を大地さんが2日間かけて念入りに行った。大地さんは「嫁に出すような感じだった」と懐かしむ。

■京都鉄道博物館では0系新幹線の横に■

 現在DD54−33は、京都市の京都鉄道博物館内にあるプラットホームをイメージしたプロムナードに展示。0系新幹線のすぐ横に置かれている。
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 見に訪れた塩見さんは「走っていた当時は油まみれの車体だったけど、きれいな状態になっていました。思い出に残るディーゼル機関車です」。足立さんは「運転席もきれいでした。今でも走り出しそうで、力強い感じがしました」と言う。大地さんは「車体のオレンジ色が鮮やかで、懐かしく思わずナンバープレートをなでました」と語る。

 機関車の動力を蒸気からディーゼルに変える「無煙化」に貢献したDD54。短命に終わったが、廃車後は長く関係者の心の中に、力強く走る姿が残っている。
(終わり)


写真上=福知山機関区で検査係として勤務していたころの大地さん。DD54の保守、点検にも力を注いだ(77年9月)
写真下=DD54の写真を見て懐かしむ3人(左から大地さん、塩見さん、足立さん)

    

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