10月7日〜11月26日(土・日・祝日のみ) 福知山市街地で

 昨年好評だった「ふくちのお宝展」が、ことしは10月7日から11月26日までの土・日曜日と、福知山マラソン開催日の11月23日に福知山市の旧市街地一帯で催される。商店や旧家、学校に寺院、それに官公庁など99の“博物館”が開館する。展示するのは懐かしい物、当時貴重だった物などレトロな品々が中心。いまも現役で活躍する品もある。
 そんな珍品の中から、いくつかをピックアップして、一足先に連載紹介しよう。

連載第6回
 社長手作りのマリオネット10体 メガネのマキノ
 簡単な小道具と、一体のマリオネットだけのシンプルな舞台。ちょっとした人形の動きが、見ている者に微妙な感情の揺れを伝える。出演する人形はすべて手作り。同店社長の牧野公一さん(41)が、大学生のころに魅せられ、独学で制作してきた。

 「人形劇より、人形の制作がしたかったんですよ。最初は作るだけでしたが、一度人前でやってみると、病み付きになって…」。人形劇団・京芸で基礎を学びながら、学生時代に古里・福知山で自主公演をスタート。これまで20−30体を手がけた。

 花売りのおばあさんや阿波踊り、安来節を踊る人、和尚さん、厚いコートを着込んだ男の人、サックスを吹く黒人男性など、人間味あふれるキャラクターがそろう。

 油粘土で作った型をもとに、木彫りやはりこで制作にかかる。人形を操るドイツ式コントローラーも、文献を参考にしながら作った。腕を見込まれ入団の誘いもあったが、「本当に作りたいと思うものだけを作りたくて」断った。

 「人形は人間のように生々しくなく無機質。動きが不自由な分だけ感情移入がしやすく、本質が表現しやすい」と牧野さんは語る。新町店では10体ほどを展示することにしている。


連載第5回
 鋳物業時代の羽釜や洗面器など カマハチ洋品店
 「カマハチ」の屋号は、元は釜八と書いた。元禄時代より以前、鋳物師町で釜、釣り鐘などを作り、当主は代々、八左ヱ門や伊左ヱ門と名乗った人が多く、釜作りの「釜」と、八左ヱ門の「八」を合わせ、「釜八」になったという。

 店主・足立巖さん(79)は13代目。足立さんが若いころ、店は馬や牛に引かせる農機具作りが主力で、府下でただ一つの府指定工場だった。しかし、耕運機の登場で先行きを考え、昭和28年の大洪水をきっかけに、現在のアオイ通りで洋品店を始めた。

 「鋳物をやっていた時は10人くらい工員がいて、人力で風を送って『湯』を沸かしよった」と足立さん。湯とは金属を溶かしたもののこと。「薄い鋳物を得意にしとったけど、親父が早く亡くなったこともあって仕事を変えたんや」と振り返る。第二工場の予定地だった篠尾新町の敷地には、他に先駆けてアパートも建てた。

 展示するのは、釜八時代に作った羽釜や洗面器、たらい、やかん、なべ、火鉢、足ごたつのほか、るつぼや鋳型の重りなど仕事道具も。 鉄製のうすは、今ももちをつくのに活躍している。「木のうすより運ぶのに便利やろ。うちの店が考えて作ったものなんやで」。今年も模造紙にいろいろな解説や絵をかいて、訪れた人に店の歴史を語る。

連載第4回
思い出とともに生き続ける時計 タブチ時計・眼鏡店
コチコチと、心臓の鼓動のように時を刻む懐中時計。その音を聞いていると妙に気持ちが落ち着く。そんな不思議な魅力に引かれ、古い懐中時計を大切にしている人たちがいる。同店は、古いぜんまい式や機械式の修理も請け負う。

 代表の田渕裕二さん(45)は、時計科の職業訓練指導員免許証を持ち、専用の旋盤で細かい部品を製作、修理する。「今の時計の寿命は、10年から15年ぐらいですが、機械式は部品を再生することができるので、100年から200年ぐらい長生きします」と話す。

 展示するのは、1901年のアンソニアクロック、有名メーカー・ウォルサムの金時計、1902年のJCSコーポレーション、昭和初期の女性用腕時計など20点余り。中には、目覚まし、永久カレンダー、月の満ち欠けまで備えた懐中時計もある。

 機械式は重力の影響を受けやすいため、使い方によってくせが生まれる。それに合わせて調整するのも修理の腕の見せどころだ。「身内の形見など、思い入れの強い品がよく持ち込まれます」と田渕さん。「安い時計が多く出回り、壊れたらすぐに買い替える時代になりましたが、こういった味のある時計を大切にしていきたい」という。

連載第3回
朽木家由来の打ち掛け? 法鷲寺袈裟
 明るい水色の麻布に、松竹梅や宝物を乗せた船など、細かい模様が一面に施してある。金糸をはじめ様々な色糸を使った刺しゅう。花びらの一つひとつが丁寧で美しい。住職が代々大切にしてきたこの袈裟(けさ)は、朽木家の女性の打ち掛けを仕立て直したものと伝えられている。

 法鷲寺と、隣接する久昌寺は、福知山城主・朽木家の菩提寺で、法鷲寺には正室や側室と思われる女性の位牌や墓がある。嵐典弘・現住職の祖父で、先々代の演澂さん(98)が、大事にしまってあったこの袈裟を見つけ着用を始めた。

 演澂さんは「昔はかんつき′セうて、亡くなった人が普段身に付けていた、一番いいものを寺にお供えする慣習があったんですよ。一種の形見分けですね。いいものだったので、私の父が袈裟として残したのでしょう」と推察する。

 朽木家は曹洞宗だが、徳川家が浄土宗だったため、もう一つ浄土宗派の菩提寺をもうけた。それが法鷲寺という。朽木家由来の着物で作った華やかな袈裟は、今も落慶法要などめでたい席で住職が身につける。

 久昌寺では、福知山藩の武道練習館の横額を公開する。


連載第2回
16手踊るドッコイセ人形 和久茂さんの手作り
 直径70aほどの円盤が回り出すと、糸でつながった人形の手足と目が動き始める。その動きは16手。毎夏、自宅前の広小路通りで繰り広げられる福知山踊りの手振り身振りだ。

 製作者の和久茂さんは73歳。以前鉄工所に勤めていたことがあり、その時学んだ技術をもとに、試行錯誤を繰り返すこと1年、独学で完成させた。「まねき食堂」を経営していた10年余り前のことだ。

 16種類の動きを出すために、円盤をケーキカットのように16等分し、その一つ一つに帯状の金属板で山をつけた。モーターを入れると円盤が回り、金属の山をローラーが転がり、その上下運動を糸で手足に伝える。

 「製作中はお客さんをほったらかして熱中しました」と振り返る。夏になると、毎年組み立てて玄関に展示。微妙な糸の引っ張り加減で動きが変わってくるので、調整が難しい。昨年まで、亡妻・千鶴子さんと一緒に作った着物を着せていたが、古くなったので今年は新調した。

 「まねき」の文字が残る家の玄関には、21枚の油絵と和久さんの発明品も。「体力さえあればなあ。もっと人形の精度が高められるんだけど・・・」。10年前と気持ちは変わっていない。

連載第1回
創業延享年間の藤木薬局 珍しい薬の木製看板がいっぱい
 まな板、あるいはそれ以上の大きさの木製の看板に、「百毒下し」「まん性胃病 肥肉丸」「いんきんたむし 全治水」「子宮病 中將湯」の金文字が読める。縦に細長いものも含め十九枚が、所狭しと店内に掲げてある。

 初代・桝屋喜兵衛が、1746年(延享3年)に京都二条通りの薬種司・桝屋藤兵衛の分店として創業。福知山城主だった朽木家御用達の薬司も務めた老舗で、今でも正式名を「桝屋藤木薬局」という。

 看板は代々残してきたもの。素材はクリかな、カシかな…。以前、大工さんに『かなり上質の材料を使ってるね』と言われたことがあります」と十一代目の藤木祥治さん。一つとして反ったり、割れたりしていない。当時は主要な薬屋にしかなかったはず、と推測する。

 「こんなに珍しがられるとは思ってもみなかった」と藤木さんとその家族。生活に溶け込み、こたつのテーブル、やかん敷きに使ってしまったこともある。お宝展では、蓄音機とSPレコードも準備。昔懐かしい曲を流し、しばしレトロな気分を味わってもらおうと計画している。