福知山史談会の総会講演を前に−
 神と鬼の山 5(最終回) 日本の鬼の交流博物館館長 村上 政市

酒呑童子の供養碑−福知山の酒呑童子伝説−

 大江山や三岳山の周辺には、酒呑童子にまつわる伝説がたくさん残っていますが、大江山や三岳山が、鬼の山とされたのは、そう古いことではないような気がしています。江戸中期、この地を旅行した貝原益軒の「西北紀行」には、この地の人々が、大江山を「御嶽」と呼んでいると記していますし、三岳山も、「丹波志」に「女人結界」(女人禁制)とあります。三岳神社は明治初年に改名されたもので、それまでは「三嶽蔵王権現社」でした。蔵王権現は、修験道の一派「回峰修験」の流れをくむ山伏たちの守り神。三岳山のルーツも「御嶽山」であったのでしょう。
 南北朝時代の初め(14世紀)に「大江山絵詞」という絵巻物がつくられ、酒呑童子は、その主人公として誕生しました。以来、謡曲「大江山」、能「大江山」そして御伽草子「大江山」が流布していく中で、大江山は酒呑童子の山となっていきます。ここにそうした酒呑童子の物語を、まるで伝説のように定着させていったのは、修験者たちと、在地の民衆との一宿一飯の交流を通じての作業であったような気がします。
 福知山市の東北部、雲原、金山、三岳地区に多くの酒呑童子伝説をとどめていますが、それらを紹介しながら、先人たちが、何故こうした鬼伝説を育てていったのだろうということを考えあってみたいと思います。
 私が一番感動したのは、天座の奥深く、千丈ケ嶽の頂上近くの山あいにある「酒呑童子の供養碑」です。「酒呑童子断迷開悟」(酒呑童子 迷いを断って悟(さと)りを開け)と刻まれています。何とやさしい心根でしょうか。また、この天座には、酒呑童子の命日に、鎌など刃物を一切使わないで、仕事を休み、この碑の前で大般若経をあげ、酒呑童子の霊を慰める「鎌止め」の風習があったといいます。この風習は大江町側にもあったようで、俳人の加賀千代の旅日記の中で、感動をもって、「鎌止め」にふれています。

大江山 鬼伝説 節分と鬼、酒呑童子を語る
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