FMラジオ歴史ウォーク
伝説の大江山 神の里から鬼の山へ3 日本の鬼の交流博物館館長 村上政市

酒呑童子の里
 閉山後、一時荒廃していた河守鉱山跡地は酒呑童子の里として再生、大江山観光開発の拠点として生まれ変わりました。その中核施設として、国や府の支援のもと建設されたのが日本の鬼の交流博物館と京都府青少年山の家グリーンロッジです。過疎化の進行によっ鬼嶽稲荷て崩壊の危機を迎えた村々を、先祖の残してくれた鬼伝説によって、衰退に歯止めをかけたいという山村振興策でもあったのです。

 建物の方が先行した博物館でしたが、全国の鬼ファン、町民、町出身者など、多くの方々のご支援とご協力によって、豊富な鬼に関する資料や展示品を収集することができ、たくさんの方々を迎え賑わっています。先年、両陛下をお迎えするという栄に浴したことは、本当に大きな喜びでした。

 今回のラジオウオーク、当館が昼食場となると思いますが、ひととき、ゆっくりと鬼に接し、先人が鬼に託したものを探って下さい。なお、このあたりで海抜は250mです。

大江山平成の大鬼
 博物館の前庭に立つ巨大な大鬼瓦は、高さ5m、重さ10トン、ギネスブックにも記載されている日本一の大鬼瓦です。

 製作は、日本鬼師の会(鬼瓦製作者有志の会)の会員のみなさん60名が、それぞれ分担して、130箇の部分品を、それぞれの地域の焼き方で仕上げ、ここで組み立てたものです。これは建設省の「手づくりふるさと賞」を受賞しました。

 日本の鬼は、時に神となり、人となり、そして妖怪にもなりますが、日本の鬼の造型物で最もポピュラーで親しまれているのが鬼瓦です。古く飛鳥時代から屋根の守護神としてにらみをきかせてきました。「鬼もて魔を追う」という発想は、多神教国日本ならではの発想であろうと思います。

 この大江山平成の大鬼は、鬼師さんたちの職人芸を芸術へと高める契機となると思います。将来、必ずや大江山の宝物となることでしょう。

大江山鬼のモニュメント
 博物館から大江山へは、本部の準備されるバスで登る予定です。予定地の8合目にある鬼嶽稲荷まで5・2km、バスですと10分ほどです。もし、荒天で視界のきかない時は、博物館で地図上で説明します。

 博物館から少し登ったところ、右手の小丘に、大江山鬼のモニュメントが見えます。大江山にたてこもった鬼の頭(かしら)たち、酒呑童子、茨木童子、星熊童子の像で、ウルトラマンの美術監督でもあった彫刻家、成田亨さんの製作です。酒呑童子は、きびしい表情で都の方向を指さしています。

 このモニュメントのあたり、鉱山時代、ボタ山として廃土を埋めており、昔の面影はありませんが、江戸時代の地誌書「丹哥府志」によれば、このあたりに酒呑童子屋敷跡があると記され、その礎石、長さ70間、幅40間とあります。一体、何ものの住居跡だったのでしょうか。すぐ下の谷あいに、千丈ケ瀧があります。三段の瀑布状で、水量の多いときは壮観です。

鬼嶽稲荷
 大きなカーブの左手に、大型バスの回転場があります。ここから700〜800mで鬼嶽稲荷へ着きます。海抜610m、大江山登山の八合目にあたり、主峰の千丈ケ嶽(833m)まで、あと1kmです。あたりはブナの原生林で、秋は紅葉の名所、そして雲海見物のポイントになります。

 ここへ伏見の稲荷大社から鬼嶽稲荷の神号を受け、稲荷社を建てたのは、江戸中期、弘化年間(19世紀中頃)のことです。折から当地方で発展した養蚕の守り神として、農民たちの厚い信仰を受けていました。正面の鳥居の神号額は、最後の宮津藩主、本庄宗武の筆、寄進になるものです。

 それ以前は、もっと頂上近くに社があったと伝え、御嶽大明神と呼んでいたようです。貝原益軒の「西北紀行」にも、「土地の人々は、この山を御嶽と呼んでいる」とあります。そういえば、地元の人々は、今も「オニタケ稲荷」でなく「オンタケ稲荷」と呼んでいます。

 おもしろいのは、本殿前の狛犬ならぬ狛狐(?)の尻尾が男性のシンボルの形をしています。先人たちのご愛嬌の作なのでしょうが、道祖神信仰の名残なのかもしれません。

鬼嶽不動の滝
 本殿下の手洗鉢の建物の少し右手に、山の方へむかう小道があります。ブナ林のまっただ中の坂道を4〜5分歩くと、正面に小さな滝が流れ落ち、そばにお不動さんの石像が立っています。近くにトチの巨木があり、秋になると、たくさんのトチの実が落ちます。流れ落ちる水は清冽そのもの、実に冷たいですが、こんな高い所でありながら、この滝の水が涸れることのないのは、ブナの保水力のすごさなのでしょう。すぐそばに、「睦姫さん」と地元の人々が呼んでいる小祠があります。こんな山深いところにおまつりされている女性、何かわけがありそうですが、どんな女性なのか、全く伝承も伝わらず、わかりません。

 この道は昔、山頂へむかう旧道であったらしく、少し上へあがると、巨木の根が横たわっており、地元では、金太郎こと坂田公時が巨木を倒して谷に橋とした、その巨木の根っこと伝えています。ウソとわかっていても楽しい話です。

 一方、鬼嶽稲荷の社務所の右手から下へ降りる道、天座へむかう旧道ですが、その途中に中を深くくりぬいたような巨岩があります。「大亀石」と呼び、昔、修験者たちの行場であったところと伝えています。また、すぐそばに無数に割れ目のついた岩があり、これを、頼光さんが鬼切り丸のためし切りをしたところといい、横に鬼丸稲荷がまつられています。

写真:鬼嶽稲荷(大江町商工会発行・大江10景より)
大江山 鬼伝説 節分と鬼、酒呑童子を語る
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