節分と豆 心の鬼を豆で追う 日本の鬼の交流博物館館長 村上 政市
福は内、鬼は外
 節分とは、文字どおり季節の分かれ目のことである。暦の上では、立春、立夏、立秋、立冬の前日のことで、年4回あるわけだが、今では立春の前日をさすようになった。自然に身をまかせて生きていた時代、厳しい冬が去り、生命のよみがえる春の訪れは強烈な思いがあったのだろう。

 季節の変わり目は、とかく体調を崩しやすい。そこで、昔の人々は、この時期、疫病神=鬼がやってきて、悪い病気をはやらせると考え、節分に鬼を追う風習をあみ出したのだろう。「豆」は「まめ(身体の丈夫なこと)」の語呂あわせだが、もともとは供物の性格
狂言面
狂言面「武悪」
=日本の鬼の交流博物館所蔵
をもっていた。節分の夜、年の数だけ豆を食べる習慣などは、その名残であろう。

 「福は内、鬼は外」というように、「福(しあわせ)」の対極にあるすべての悪しきものが「鬼」である。古くから、死、暴力、貧困、病気、飢えなど、人間にとって不幸なものは、鬼のしわざとされることが多かった。

 その半面で、鬼は人間の力を越えたものへの畏怖の気持ちから創り出されたものだから、日本の鬼は神のような側面も持ち、日本人固有の祖先崇拝と相まって、鬼を祖霊とみるようにもなり、善悪両面をもち、人間の分身のような日本独特の鬼が生まれたわけである。

 今年は、豆まきの由来を物語る民話と、中近世、民衆に愛好された狂言の「節分」、それに節分にまつわる川柳を紹介しよう。
 
民話、鬼と煎り豆
 むかし、ある年のこと、ひでりが続き稲が枯れはじめた。困りはてた百姓が「誰でもよいから、雨を降らせてくれたら、一人娘のおふくを嫁にやるがなあ」とつぶやいた。すると鬼があらわれ、「お前が今言ったことは本当か」という。「村中の田が豊作になるように雨を降らせてくれたらな…」と約束する。

 しばらくすると、雷が鳴り雨が降り、3日晴れると1日雨が降った。秋になり稲は豊かに稔った。すると、鬼があらわれ「約束どおり、おふくを嫁にくれ」という。おふくは、鬼のおかげで村が救われたと鬼の嫁になる。

 おふくが嫁に行く日、母親は菜の花のタネをおふくに持たせ、鬼のところへ行く道すがら、タネをまくように言いつける。おふくは山深い鬼のところへ嫁いでいった。

 やがて春になり雪がとけた。おふくが外へ出ると、菜の花が列をなして美しく咲いている。おふくは母親が恋しくなり、菜の花の列をたよりに家へ逃げ帰る。

 おふくを追ってきた鬼は、おふくをかえせとわめく。母親は煎った豆を戸のすき間から投げ、この豆を植え、花を咲かせて持ってくれば、おふくをお前にやろうという。鬼は豆を育てようとするが芽が出ない。翌年も、その翌年も、母親のところへ来て、煎り豆をも
節分の川柳
・家々にさす柊は鬼の垣
・大豆まいた時に鬼門はあけておく
・柊で目を突くもあり恋の鬼
・節分の夜は鬼の顔豆ではる
・力こぶ鬼にも見せんとしの豆
・日本中鬼打ち豆の通り雨
らい、育てようとするが芽が出ない。そのうち、鬼はこなくなった。これが節分の豆まきのはじまりだ、というはなしです。

狂言「節分」
 節分の夜、夫が出雲大社へ年越しのおまいりに出かけ、妻が一人で留守番をしていると、蓬莱(ほうらい)の島から鬼がやって来た。美しい人妻に一目惚れした鬼は、恋の小歌をうたいながら言いよるが、女はうけつけない。鬼はとうとう泣き出してしまう。その様子をみていた女は、なびくとみせかけ、鬼の隠れ笠、隠れ蓑、打出の小槌を取りあげ、家の中へ入れる。鬼は大よろこびで亭主気取りでごきげん。女は頃はよしと、煎り豆をとり出し「福は内、鬼は外」と鬼に投げつける。鬼はあわてふためき逃げ去っていく。
 
鬼は時代をこえて
 民話や狂言でみてきた人と鬼のつきあい方は、楽しくユーモラスである。鬼を深刻にとらえるのではなく、遊びの素材としている。鬼は雨を降らしたり、姿をかくしたり、人智をこえた神通力の持ち主である。狂言「節分」の鬼は、宝物を授けに来た神の変型のようである。しかし、コロリと他愛もなく人にだまされ、柊のトゲに逃げまどう。

 先人たちは、自らつくり出した鬼に、さまざまな属性を与え、人が人間らしく生きるための教材としている。鬼の諺のなんと多いことか。異界にすむ鬼と現世にすむ人間を交流させ共存している。ただ人に害をなし、神と敵対する一神教世界の悪魔とは大きなちがいである。多神教国、日本ならではの鬼のすばらしさを、いま一度ふりかえってみたいものだ。鬼を悪しきものの集約として、その鬼に災厄を肩がわりしてもらう節分の豆まき、そんなのどかな風習が、いつまでも続くことを願っている。

・暗き世に心の鬼をまめで追う
大江山 鬼伝説 節分と鬼、酒呑童子を語る
福知山のニュース両丹日日新聞WEB両丹