節分の鬼 日本の鬼の交流博物館館長 村上 政市
丹後の国 京都府大江町
鬼は隠

 今年も節分が来ました。現在の生活の中では、節分といっても暦の上の通過点の一つぐらいの感覚しかありませんが、昔の人々にとっては、節分というのは、一年の大きな節目の日でした。
節分会
 旧暦で、農業が主体であった大昔、旧暦の大晦日と春を告げる節分は、ほぼ同時期だったのです。年があらたまり、万物の甦る春の訪れを告げる日、「邪気を払い、今年も元気で過ごそう」と、自らをふるいたたせようとして始まったのが、節分の豆まきだったと思います。現代でも新春を迎えると信仰をこえて、ドッと初詣でに人が繰り出しますが、似たような心理ですね。
 今では、幼児でも鬼の実在など信じていませんが、大昔の人々は、かなり実在感をもって鬼を見つめています。それを笑うよりもむしろ、その背後にあった生活の厳しさや、まじめな生き方に目をむけるべきでしょう。
 「鬼」のルーツは「隠」といわれます。隠れているもの、目に見えず災厄をふりまくもの、人間の力を超えた不思議な出来ごとに、鬼を感じ、鬼のしわざと考えたのです。鬼は、人の心の不安感に根ざして、つつしみの心、おそれの心がつくり出したものともいえますね。
 
京都は鬼のふるさと
 
 日本の鬼の原型をつくり出したのは、平安京の都人たちであったであろう。とりわけ、陰陽師や密教僧など、当時の知識人が、その形成に大きな役割を果たしたのではないかといわれています。以来、千年の歳月をこえて、鬼は人の心にすみついて、長い長い歴史をたどってきました。だから、鬼は実に多様です。
 人々は、つくり出した鬼の属性を巧みに使い分け、強いもの、こわいもの、疫病のシンボル、時には山の神の化身として、また子どもたちの遊びの素材として、暮らしの戒めとし、生活のアクセントとして活用してきました。
 鬼のことわざの多彩さは、よくそのことを物語っています。鬼のふるさととでもいうべき京都には、実にさまざまな鬼の芸能や伝承が残っています。酒呑童子物語も平安京を舞台にした話です。そんな京都に、実にユニークな節分行事が伝わっています。
 
廬山寺の鬼法楽
 
 寺社の多い京都では、さまざまな節分行事が行われています。それぞれに工夫をこらした多彩な内容です。また京都では、節分に、「四方詣」といって、東北の吉田神社、東南の稲荷大社、西北の北野天満宮、西南の壬生寺の四社寺へ参詣する風習もあるということです。
 そのうち、正鬼門に当たる吉田神社の節分祭は、方相氏(ほうそうし)があらわれるなど、古式をとどめています。今年は、非常におもしろい「廬山寺の鬼法楽」を紹介しましょう。
 廬山寺は、中京区広小路上ル、府立医大病院の近くにあるお寺ですが、「角大師(つのだいし

鬼は外


 私たちは、近代文明の恩恵を受けて、豊かで便利な生活を享受しています。不景気だ、先行き不透明だといいながら、世界の中で最も平穏で恵まれた国の一つであるような気がします。しかし、「欲望」「怒り」「愚痴」がうずまき、何となく不安であり、不満感が漂っています。子どもの非行どころか、大人の非行があとを絶ちません。豊かな物質文明を手にする中で、人間の力を過信してしまったツケが回って来ているような気がします。
 先人たちが節分に託した「つつしみ」と「おそれ」の心を、せめて節分の夜、ふりかえってみたいものです。近くの寺社に詣で、暗闇にむかって、声高く「鬼は外」と叫び、心の鬼を追っ払ってみませんか。
)」といわれた元三大師良源の開創になる寺です。ここの節分行事は、天暦四年(九五〇)、良源が宮中で三百日の修法を行ったとき、三匹の鬼があらわれて妨害したのを、良源が護摩の力で退散させたという故事に由来するといわれています。
 松明と剣を持った赤鬼、斧を手にした青鬼、槌を持った黒鬼の三鬼があらわれ、踊り狂います。法弓師が天と四方に向かって破魔矢を放つと、これを合図に観衆たちが一斉に豆や餅を投げつける。鬼は苦しみ悶えて退散していくというストーリーですが、おもしろいのはこの三鬼、赤鬼は「貧」(どん=欲望)、青鬼は「瞋」(しん=怒り)、黒鬼は「痴」(ち=愚痴)をあらわすといわれていることです。
 
鬼は欲望の化身
 
 この廬山寺の節分の鬼は、鬼を人の心にひそむ悪ととらえ、まがまがしい行為のシンボルとして鬼をみている代表的な事例ですが、昔の人々は、多分に、鬼を人間の欲望の化身としてとらえているふしがみられます。
 仏教思想の影響と思われますが、鬼を「欲望をあらわにして傷ついたもの」、もっと端的にいえば、「煩悩(ぼんのう=心をわずらわす妄念)の化身」ととらえているのです。結婚式の「角隠し」の風習も、こうした考え方の延長上のものといえますね。


大江山 鬼伝説 節分と鬼、酒呑童子を語る
大江町の楽しい話題をお届けします両丹日日新聞