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両丹日日新聞2018年1月 4日のニュース

気持ち新たに弓道協会が初射会

巻藁射礼 福知山市弓道協会(岩城美文会長)は4日、京都府福知山市和久市町の市弓道場で新春の恒例行事「初射会」を開いた。はかま姿の会員たちが弓道の修練を誓い、一層の上達を願って矢を放った。

 21人が参加。最初に岩城会長(67)が「昇段など各個人の目標に向かって、1年間頑張りましょう」とあいさつした。

 このあと伝統の作法にのっとって弓の儀式に入った。教士七段の藤原進さん(82)が約3メートル先の巻藁に向けて射る儀式「巻藁射礼」をし、岩城会長が射初めとなる「矢渡し」をした。

 続いて昇段者3人の祝射として、教士3人が一列に並び、一つの的に対して射る「一つ的射礼」をした。「持ち的射礼」などもした。

 1月例会を兼ねており、午後からは競射があり、会員たちは新たな気持ちで挑み、弓を引いた。


写真=巻藁射礼をする藤原さん

京都府全域に食中毒注意報

 京都府は4日、府内に冬季食中毒注意報を発令した。今季初。ノロウイルスによる食中毒が年末に2件続いたため。10日まで継続する。

 京都市で12月26日、ノロウイルスによる食中毒が発生し、直後の30日に京丹後市でも発生。「同一週に2件」という発令基準に該当した。

 府は調理作業前の手洗い徹底、食品の十分な加熱、まな板や包丁などの調理器具の衛生管理徹底を呼びかけている。

鉄道支えた現場 旧福知山機関区

福知山機関区 京都府福知山市は昔から鉄道のまちとして栄えた。福知山駅構内にはかつて「福知山機関区」と呼ばれる車両基地があった。動力車の運転、運用、整備、保守にあたる鉄道の現場機関で、関西でも有数の基地として名が知られ、「鉄道のまち福知山」を象徴する鉄道施設だった。往時の機関区の様子を関係者から聞いた。

 福知山鉄道管理局史によると、1899年(明治32年)に阪鶴鉄道が福知山南口まで開通するのと同時に設けられた福知山機関庫が前身で、当時はバラック建ての粗末な施設だった。1936年(昭和11年)に福知山機関区に改称。49年には旧国鉄の管轄となった。

 機関区があったのは駅構内の東南側で、事務所(本館)のほか、運転、整備、研修の3部門の建物などがあった。事務所は木造2階建てだったが、76年に3階建ての立派な施設に生まれ変わった。建物は当初から機関車運転士の詰め所にもなっていた。

■休む間ない忙しさ 構内を自転車で移動■

 終戦直前の45年春に15歳で機関区に勤め始めた山本偵二さん(87)=厚中問屋町=は、主に蒸気機関車(SL)やディーゼル機関車の運転に従事した。入りたてのころは機関助士として、SLのかま掃除ばかりをさせられた。D51、D50、C11、C57など多くの機体を扱い、体中真っ黒になった思い出を振り返る。

 60年からは機関士となり、運転を始めた。機関区の管理区域は広く、線路が複雑に敷かれ、扇形車庫や機関車の方向を変える転車台もあった。山本さんは「機関車を車庫などから本線に入れる段取りが大変な仕事で、車庫に入庫する時も、出しやすいようにしなければならず苦労しました」と言う。
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 山本さんと同じ、機関区の運転士を長く務めた足立雄二さん(81)=同=は、55年に旧国鉄に採用された当初、福知山車掌区の所属だったが、1年後に機関区への異動を命じられ、構内機関士、機関助士を経て運転士になった。

 足立さんは構内での機関車の入れ替えなどがスムーズにできるよう、広い構内を歩き、線路や車庫などの位置を覚えたという。

 64年に機関区のSLの修理にあたる機関車係として採用された大地洋次郎さん(76)=同=は、7年後には検査係に配置され、SLやディーゼル機関車の保守・点検に従事した。

 運転士らと違い、勤務中は構内にいることが多かった。「当時は多くの車両があったので次から次と仕事がありました。座って休む間もなく働いたことを記憶しています」。構内の東西への移動にはよく自転車を使ったという。

■貨車を使い理髪店や靴店、食堂も開店■

 機関区には鉄道に関する施設のほか、職員用の理髪店や靴店、食堂などもあった。いずれも使わなくなった貨車を建物代わりにしていた。またボイラーがあったため、大きな浴槽を備えた24時間入れる風呂も設けられていた。

 職員は50年から60年にかけてが一番多く在籍しており、約650人が働いていたという。「部署が違うと、一度も顔を合わせたことのない人もいました」と大地さんは笑う。
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 多くのSLやディーゼル機関車が配備されていた機関区には、鉄道マニアや写真愛好家らがたくさん訪れた。事務所で許可を取ってから、腕章をつけて構内で見学、写真撮影をした。

 機関車のそばまで行き、ベストショットを撮ることができた。機関車に乗った運転士らもレンズを向けると、気軽にポーズを取ってくれた。このほか小学生の社会見学の場所にもなっていた。

 86年には福知山機関区と福知山客貨車区が統合され、福知山運転区となり、機関区という名称がなくなった。翌年には国鉄分割民営化に伴い、福知山運転区は福知山運転所に組織変更された。

 その後、南北市街地の一体化を目的にした福知山駅付近連続立体交差事業(96年〜2010年)が行われ、工事のため機関区などがあった構内の施設が取り壊されていった。

 SLやディーゼル機関車、電車の運転士を務めた足立さんは「機関区時代の思い出はたくさんあり、今でも構内の情景が夢に出てくることがあります」と懐かしむ。
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 大地さんは「機関区で働いていたころは和やかで、自由な雰囲気の中で仕事をさせてもらいました」と振り返る。

 構内の扇形車庫や水タンク、線路などの施設は97年から01年ごろにかけて取り壊された。

 すでに退職していた山本さんは、散歩がてら駅周辺に行っては、さまざまな施設が撤去されていく年月日や状況をノートにメモ。後に清書して記録として残している。「施設がなくなっていくのは寂しく思いましたが、機関区で働いたことはいい思い出ばかり」と話す。

 福知山機関区があった場所は、現在駅南口公園になっている。公園には機関区の転車台があり、台の上には現役当時機関区に配備されていたSLの「C11−40」が置かれ、往時の様子を伝える。


写真上=1959年当時の福知山機関区。奥に見えるのは転車台
写真中上=機関区には多くのSLが配備されていた(1968年)
写真中下=多くの人たちが見学に訪れた(1986年)
写真下=写真を見ながら機関区に勤めていたころの思い出を語り合う3人(左から大地さん、山本さん、足立さん)


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