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両丹日日新聞2017年4月 9日のニュース

市民が再建した福知山城、念願の名城認定

福知山城 福知山市のシンボルとして市民に親しまれる福知山城が、財団法人日本城郭協会(東京都)の「続日本100名城」に選ばれた。昨年に再建30周年の節目を迎え、今年は念願だった名城に仲間入り。2年連続のめでたい話題に、関係者らは喜んでいる。

 協会では、2006年に日本100名城を発表しており、今回はその時に選ばれなかった城のうち、観光地としての知名度、文化財や歴史上の重要性、復元の正確性などを基準に、審査して6日に発表した。

 福知山城は、京都府内で唯一の選出。ほかに近畿地方では、滋賀県の鎌刃城、大阪府の芥川山城、兵庫県の出石城・有子山城、奈良県の大和郡山城、和歌山県の新宮城などが入った。

■まちのシンボル■

 1580年(天正8年)ごろ、丹波平定に成功した明智光秀が丹波の拠点として築いたのが福知山城。初代の光秀を含め9氏が城主となり、城を守り継いできたものの、1871年(明治4年)の廃藩置県、73年の廃城令により取り壊された。塀や石垣も多くが失われ、天守台と本丸の石垣遺構が残されている状態が続いた。

 福知山のシンボルを再び−という思いは多くの市民の間にずっとあり、1970年代にピークを迎えた。73年には当時の東京工大名誉教授による基本設計図が完成。地質調査も行い、計画が進むかに見えたが、オイルショックで計画は断念せざるを得なくなった。

 再建計画が再び動き出したのは、約10年後の1982年。当時の塩見精太郎市長が12月議会で建設の意向を表明。翌83年には市が調査費を予算化し設計委託も発注。10月に発起人会ができ、84年3月に再建(郷土資料館建設)期成会が発足し、動きが活発化していった。
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 予算は当初7億円と見込まれた。工配法(工場配置促進法)の補助金や開発公社からの寄付を充て、半分以上は市民らから寄付を募る計画を立てた。

■瓦一枚運動で寄付を集め■

 寄付の大半を占めたのは、瓦一枚運動。城に使う瓦1枚に付き3千円以上を1口として寄付を募るというもので、5億円余りの寄付が寄せられた。

 83年から86年にかけて行われた再建の総事業費は最終的に8億1372万円となった。瓦一枚運動のほかに一般寄付1億6千万円、国庫補助1億4千万円、京都府補助230万円などもあり、市の一般財源をほとんど使わずに再建を成し遂げた。

 瓦の裏側には一枚運動で3千円以上寄付した人の名前が書かれ、建物の屋根に使われている。

 建設工事は、84年8月に小天守と続櫓に着工し、翌85年3月に完成。同年7月に大天守閣(郷土資料館)に着手し翌86年3月に完工した。この年の11月9日、念願の竣工式をし、翌日に開館した。

 ともに鉄筋コンクリート造りで、大天守閣は3層4階建て延べ床面積793平方メートル。地階は玄関、事務室、収蔵庫など、1、2階に展示室など、3、4階に展望台などがある。小天守閣は2層2階建て、続櫓は平屋建てで産業館となっている。倉庫、展示室、和室、会議室などがある。

■全国にPRを■

 福知山城(郷土資料館)の駿河禎克館長(61)は「石垣が素朴で荒々しい野面積みであるなど、特徴的な城郭をしており、他の城に負けないと自負しています。ただ、来館者から『立派なのに100名城じゃないんですね』と言われることも多く、名城入りは念願でした。非常に喜ばしいことで、城を全国的にPRできれば」と話している。


写真上=京都府内で唯一、続・名城に選ばれた福知山城
写真下=建設工事中の福知山城


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