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両丹日日新聞2017年11月10日のニュース

細川幽斎築造当初の宮津城絵図“発掘” 京都府立丹後郷土資料館

 あまり知られていない宮津城について、地中に埋まっている遺構などの埋蔵文化財と、資料の山に埋まっていた中から発掘した「資料の埋蔵文化財」で紹介する特別展が、京都府立丹後郷土資料館(宮津市国分)で開かれている。「宮津という地に居城を拵えて−地中に眠る宮津城」。12月10日まで。

 石垣などの遺構がとぼしく、宮津に城があったことは地元の人たちにも、あまり知られていなかった。

 かつて丹後の中心として栄えていたのは成相寺側の府中。今の市街地側がにぎやかになったのは、天正8年(1580)に細川藤孝(幽斎)が築城したのが始まりだった。

 慶長5年(1600)の関ケ原の合戦では、藤孝が宮津城を焼いて田辺城に籠城して西軍を足止め。この功績で細川家が豊前へ移封。代わって京極氏が宮津城主となり、城の改修・拡張を行い、寛永年間(1624〜44年)に完成したとされている。

 これまでは1644年以降に描かれた絵図が、知られている中で最も古い資料だったが、今年3月に、それより古い時代の絵図が確認された。見つけたのは丹後郷土資料館の資料課長で、金沢城調査研究の専門委員もしている森島康雄さん。金沢市立玉川図書館近世史料館で展示されている加賀前田家の資料の中から、偶然見つけた。金沢の関係者にも「宮津城の絵図がある」ことは分かっていたが、最も古い宮津城の形を描いたものだとは知られていなかった。

 本丸がすぐ海に面していて、本丸と二の丸の間に堀がある。城の周囲の地形からも、細川氏の築城当時のものだと分かる。今回の特別展の目玉として展示している。

 このほか、京極氏を改易した幕府が1667年に、荒れていた宮津城を直轄で改築した際の、現地宮津と江戸との間で交わされた文書類も展示。これまで着目されていなかったが、詳細に見てみると、傷んでいる場所と修復方法、個別の経費が詳細に記されていて、当時の城の構造や規模が克明に浮かび上がってくる。

 こうした調査結果で明らかになってきた城の姿と、発掘調査の様子、現在の市街地を対比した資料も展示して、視覚的にも分かりやすくしている。

 郷土資料館は月曜休館。会期中は入館料大人250円、小中学生70円。

■25日に文化講座■

 25日午後1時30分からは館内で文化財講座を開く。広島大学大学院の三浦正幸教授が「ありし日の宮津城の姿」と題して話す。


写真=初期の宮津城を描いた絵図と森島課長

    

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