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両丹日日新聞2017年1月26日のニュース

大地震のネパールで仮設校舎整備 村人と人海戦術で

小野田豪介さん 多くの犠牲者を出したネパール大地震発生から、今年4月で丸2年を迎える。京都府福知山市夜久野町西垣の居母山クラブ会員、小野田豪介さん(47)は、仲間2人とともに、同国東部にある山間部の村で復興支援活動を続けている。現在は、集まった災害支援金をもとに資材を調達し、崩壊した学校の仮設校舎の整備に、現地の人たちと人海戦術であたっている。2月中の完成をめざす。

 ヒマラヤ山脈のふもとにあるネパールは、世界最貧国の一つ。人口増加に伴って食糧不足となっているところへ、主産業の農業が天候不順による不作で深刻な状況にある。こうした中、15年4月にマグニチュード7・8の巨大地震が襲い、約9千人の命を奪い、民家など約90万棟が倒壊した。総人口の3割が被災したとも伝えられる。

 小野田さんは大学時代に仏教文学史などを専攻し、現在は京都市左京区の壇王法林寺研究員を務める。仏教の開祖・釈迦の生誕地と伝わるネパールには関心が高く、以前から「一つの縁でつながるネパールの人たちとの関係を大事にしたい」との思いがあった。

■一昨年から訪問重ね復興支援■

 大地震に心を痛め、一昨年8月は首都カトマンズ近郊の町へ行き、がれき撤去や竹製テントの設置作業、昨年3月には東部のシンドゥ・パルチョーク郡チプリング村で、仮設学校のトイレ整備をした。

 今年も、友人関係にあり京都市内でネパール料理店を営むディパック・バンダリさん(40)、千葉県神崎町在住で地域コミュニティー形成をめざす組織・NPO法人ドージバ副代表理事の神澤則生さん(50)とともに、24日から現地へ出向いている。ディパックさんの母親の古里が、同郡プルピンカティ村のため、今回は同村内にある学校を復興支援場所に決めた。

■国の手届かぬ高地の山間部■
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 現地はヒマラヤ山中の標高3800メートルの場所にあり、深く切り立った山間の斜面を切り開いて人々が暮らす。地震の際には、大規模な土砂崩れが各所で発生し、谷底をふさぎ、さらに追い打ちをかけるように昨年夏、大雨による大規模な土砂災害が起きた。村につながる道路は各所で寸断され、カトマンズにある公園内で避難生活を強いられている人が多い。

 村には国の支援が届かず、住居の復興はいまだ進んでいない。学校は、崩壊後に屋根だけを設けた状態で、冬季や雨季は休校を余儀なくされる。

 識字率が低く、「とりあえず子どもたちが勉強できる環境だけでも整えたい」というのが現地の人たちの願い。このため、トタンで周囲を囲むなどして壁を作り、さらに屋根を頑丈にし、風雨に耐えられるようにと仮設校舎の整備を進めている。秋には再び現地を訪れ、学校近くに広場を作り、アースオーブンかまど(土製の窯)を造る計画を立てている。

 仮設校舎の整備費は、京都市に事務所を置く親睦団体・仏教クラブや登山グループ・居母山クラブ、西垣の飯尾設備から寄せられた浄財を使う。

 学校のウメシュ・ボスネット校長からは「今回の大地震で地元に残る若者も仕事を求めて都会に出てしまいました。政府の復興支援を得られない村に、仮設校舎の整備を進めていただくのはありがたく、意義あること」と、たいへん喜ばれているという。

 小野田さんは「ネパールは過去に何度も地震を経験した国ながら、山間部は石を積んで漆喰で固めた揺れに弱い住居が多く、村人たちの防災に対する意識も薄い。共同作業を通して被災した人たちに希望を与え、子どもたちにできる限りの教育環境を整えたい。末永く交流を続け、将来は居母山クラブで訪ねることも考えたい」と話している。


写真上=ネパールの被災地で昨年撮影した写真を手にする小野田さん
写真下=震災後、屋根だけが設けられた学校。今、仮設校舎の整備を進めている。

    

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