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両丹日日新聞2012年1月 2日のニュース

古里で第二の人生(上):旧友と写真撮影楽しむ

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高校を卒業した子どもたちは、進学や就職で古里から離れていくことが多い。そのまま、移住先で定住する人もいる。「ふるさとは遠きにありて思うもの」というが、ここでは福知山市出身で、都会で就職し、定年後にUターンして、趣味を楽しんだり、自治会の仕事に取り組んだりしている3人を取り上げる。

 夜久野町を離れてから32年後、桑原秀行さん(71)=夜久野町羽白=は古里に戻り、福知山高校の同級生たちと結成したアマチュア写真クラブ・フォト「金木犀」のメンバーとして、地元や近くの風景写真をカメラに収めている。
 
 生まれは広島だが、食糧難で、5歳のころに祖父がいる夜久野へ移住。20歳で広小路通りにあった大井証券(現・みずほ証券)に入社。8年目にして初めて転勤辞令が下り、島根県松江市に異動となった。
 
 その後、徳島、茨城など各地を転々として東京本社での勤務を最後に退職。約40年に及ぶサラリーマン生活を終えた。
 
 退職する6年前、実家が道路拡幅で立ち退くことになったため、一人残る母親に「東京に出てくれば」と上京を促したが、実現しなかった。定年後、別の会社から仕事の誘いを受けたが、「母親を一人残してはおけない」と、2000年12月、綾部市出身の妻・文枝さん(68)と夜久野へ。
 
 01年1月、さっそく地元自治会の総会に出席。ところが、来ている人が誰だか分からない。「浦島太郎になったみたい」だった。
 
 しかし、地元の役が回ってくるようになり、夜久野高原まつりのスタッフをするなどしていくうちに、「街中であいさつされたり、親しく話しかけてくれる人が増えてきました」と喜ぶ。
 
 東京では「桑原さん」だったが、夜久野では年下からも「秀ちゃん」と昔の呼び方で呼ばれ、地元で過ごしている実感をかみしめる。
 
 写真は町内にある宝山の雲海や府緑化センターのシダレザクラ、玄武岩などを撮影し、「こんな所もあったんだ」と夜久野の自然の良さを知る機会にもなっている。
 
 好きな言葉は「わかされ(分かれ道)」。夜久野に戻っていなければ、東京にいればなど、別の道を想像することもあるが、後悔はしておらず、Uターンして「安心感があり、良かったのではないかと思う」
 
 
写真=大好きな夜久野の自然にカメラを向ける
 
【関連ニュース】
 
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