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両丹日日新聞2011年10月20日のニュース

60年前の写真が取り持ち大江で男性2人が再会 孫娘が探して兵庫から

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 祖父宅で見つけた古い写真。直径が人の背ほどもある丸太を切り出す作業現場。60年前のものという。記憶をたどる祖父の口からは、知らない土地の名前が出てくる。孫娘は人の縁をたどり、若い祖父と一緒に写る男性が、現場の村で今も元気だと知った。懐かしい土地へ、孫娘は祖父たちを連れ福知山市大江町毛原を訪ねた。

■戦後に5尺の丸太切り出し、神社に今も切り株■
 
 毛原を訪れたのは兵庫県神崎郡神河町の会社員、井上知美さん(26)と、町内に住む祖父の井上忠治さん(84)夫妻。16日、忠治さんの弟夫妻も同行した。
 
 きっかけは知美さんが、祖父の家でセピア色になった写真を見つけたことだった。大きな丸太が2本。直径はそれぞれ5尺5寸(約1・66メートル)、5尺2寸と書いてある。一緒に5人の若者が写る。忠治さんに問うと地元ではなく、「元伊勢」という聞き慣れぬ地名が出てきた。更に忠治さんの記憶をたどると「毛原」という名も。調べてみて大江町毛原だと分かった。
 
 ならばと、郷土史の愛好仲間で、両丹日日新聞に福知山など丹波のことをたびたび寄稿している綾部高校教諭の久後生歩さん(57)に連絡。久後さんが大江町から通っている同僚の水口清司さん(54)に写真のコピーを見せると、「これと同じ写真が自宅にも以前あった」という。清司さんの父、須磨男さん(86)こそ、写真の中の一人だった。
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 めぐりめぐっての不思議な縁に導かれ、井上さんたちは毛原を訪問。水口さん宅で忠治さん、須磨男さんが60年ぶりの対面を果たすことができた。二人からは当時の思い出話が次々と飛び出し、居合わせたみんなで興味深く聞き入った。
 
 木を切り出したのは戦後の混乱が続く昭和25(1950)、26年ごろ。「苗代をしてた4月」のことだった。
 
 「立派な木は進駐軍が梱包材に取りに来るらしい。取られてしまう前に」と、村の大岩神社参道脇にあった杉の巨木を切り出すことになった。木を切るのは3人がかり。倒した木を運ぶのが、忠治さんたちの役割だった。
 
 棚田の里とあって、山からふもとまでは巨木を運ぶだけの道が無く、田の上に木組みの橋をかけ、木のそり(木馬)に乗せて、ゆっくり慎重に下ろし、ふもとで製材所のトラックに積み込んだ。
 
 トラックが耐えられる重さにするため、丸太は長さ2メートルに切り分け、計10本になったという。「直径5尺5寸なんていう杉は、どこにでもあるものじゃなく、私が運んだ中で最大のものでした」と忠治さん。運び出した丸太はどこかの神社修繕に使われたといい、地元は得たお金で防火用水を整えたとされている。
 
 「内宮(元伊勢)の集落に散髪屋があって」など当時のことを楽しく思い出す須磨男さん。「村のみなさんから順番に米をもらってまわった」と住民との交流を振り返る忠治さん。はつらつと山を駆け歩いた若いころの思い出は尽きない。二人で写真をのぞき込んでは、青春のひとコマを紡ぎ合っていた。
 
 
写真上=巨木の切り出し現場の写真。右から2人目、丸太に座るのが須磨男さん。その左に立つのが忠治さん
写真下=今も残る参道脇の切り株を眺め、当時を思い出す須磨男さん(左)と忠治さん

    

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