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両丹日日新聞2010年11月29日のニュース

赤穂浪士に思いをはせ 大江から舞鶴へ義士の道歴史ハイク

1129terasaka.jpg 赤穂浪士の討ち入りの日を半月後に控え、四十七士の中でただ一人、生きて各地に義挙を伝えた寺坂吉右衛門の歩いた道をたどる「義士の道歴史ハイク」が28日、ゆかりの地・福知山市大江町市原を出発した。12月に日米同時公開される映画「最後の忠臣蔵」で主役の一人として描かれる吉右衛門。平成の時代を迎えて、また注目を集めだした。

 歴史ハイクを企画したのは、舞鶴市の「加佐ふるさと塾」(事務局・舞鶴市加佐分室)。市原と舞鶴市桑飼下を結ぶルートを、雑木伐採、路面整備しながら歩く「整備ハイキング」をするなど、昨年のうちから準備してきた。本番となる今年の歴史ハイクには、郷土史ファンら府北部の約70人が参加。紅葉の美しい山道4キロを、加佐歴史同好会の人たちの案内で散策した。
 
 出発地の市原は、福知山マラソンの折り返し地点となっている二箇下の谷筋を山側へと進んでいった先にある小さな集落。旧田辺街道にあり、江戸時代には舞鶴田辺藩の領地だった。治めていたのは芦田家。大石内蔵助の妻・りくの弟・為直が婿養子として入っていた。
 
 赤穂浪士の吉良邸討ち入りは元禄15年(1702)12月14日。苦難の末に本懐を遂げた大石内蔵助ら四十七士は、亡き主君に報告するため菩提寺の泉岳寺へと向かい、その途中で吉右衛門のみ、内蔵助の命を受け一人隊列から離れて姿を消し…というのが、講談や映画・ドラマで有名なエピソード。浅野内匠頭の正室・瑶泉院に仇討ちを果たしたことを知らせた後、各地へ同様に詳細を知らせて回ったとされている。
 
 里の豊岡へ戻っていた、りくへ知らせる旅では、吉右衛門は芦田家で一泊。桑飼下村原峠の山口甚左衛門の家で茶を求め、「けさ芦田家を出て、これから出石へ向かう」と告げたと伝えられている。芦田家でもこの話は伝わっていて、46代目となる現当主の市職員、芦田宜之さん(55)は、歴史ハイクの参加者たちを敷地内に迎え、丁寧に説明を加えていった。
 
 もともと芦田家は氷上にいたが、明智光秀の丹波攻めに敗れて大江に移り、田辺藩に召し抱えられて市原谷を治めるようになった。大江に狩り場があり、藩主がたびたび訪ねてきて宿泊するため、金閣寺をまねた庭を整えたりしてきた。大石内蔵助も何度か立ち寄っているが、縁を示すものは2度の大火で焼けてしまい、今は、内蔵助が手習いで書いた三十六歌仙だけが残っている。
 
 芦田さんは参加者からの質問に「為直は市原を治めるようになって4代目で、私は21代目になります」などと紹介し、「祖父や曾祖父のころまでは赤穂浪士との縁も詳しかったのですが、これほど注目を集めるのなら、もっとしっかり話を聴いておくのでした」などと笑顔で応じていた。
 
 
写真=寺坂吉右衛門に扮したスタッフを先頭に、芦田さん宅の門をくぐるハイキングの一行

    

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